経済界か生活者か、政治がどちらを向いているかがはっきりした「解雇規制緩和」

 総裁選における政策論争といえば、事前に本命視された小泉進次郎氏は唐突な解雇規制緩和論を契機に躓いたとも言われる。90年代末に企業が負債、設備、そして雇用の「3つの過剰」に苦しんだとされる時期ならいざ知らず、あまりに乱暴だった。

「起業の時代」などとまことしやかに囁く声がビジネスオピニオンなどもあるが、実態は違う。おそらくは大企業を中心とする定年年齢の引き上げに伴う雇用継続や65歳以上でも働く人が増えていることなどもあり、労働人口や就業者に占める雇用者(要するに勤め人)比率はおよそ9割と過去最大になっている(それに対して自営業者等は減少の一途を辿っている。これもまた善かれ悪しかれである)。

 人材の流動化を促進したいのであれば、アプローチは解雇規制の緩和だけではない。転職が禁じられているわけですらないが、転職市場の活性化もその方策のひとつのはずだ。そもそもこれも多くの人の認識と異なるかもしれないが、総務省の統計によれば転職者数はそれほど増えていないどころか2023年から過去10年にわたって年間300万人前後、転職者比率も5%前後でほぼ横ばいだ(転職希望者は若干増加傾向)。

◎総務省統計局労働力人口統計室,2023,「直近の転職者及び転職等希望者の動向について」

 転職者が少ないのは普通に考えれば、転職が魅力的でないか、魅力的に見えていないか、それらの両方といえる。しかし転職者をどのように処遇するかということについて規制があるわけでなし、転職者を増やしたいならまず企業自らが転職者を高待遇で迎え、その事実を広く周知すればよいはずだ。

 人事戦略という経営に直結すると思しき事項も政府や規制のお墨付きなしには決められないのだろうか。各企業の経営層と経済団体はいったい何のために存在するのだろう。

 一般の労働者は案外聡く、案外脆い。ノー・フリーランチともいう。もし日本で転職市場が一般に魅力的なら誰も放っておかないはずだ。そのことを踏まえれば、社会保障や年金などを含めて、転職が労働者にメリットがあるという状態になっていない(か、そのことを労働者が認識できていない)と推論できる。

 流動化を促進したいのであれば、議論が蓄積され、そして直近の解雇無効訴訟判決時の金銭解雇の可否という議論すら踏まえないままに解雇規制緩和論に踏み込む以前に、転職市場の活性化や整備をあげるべきだったし、それこそ大いに政策介入の余地のある領域ではないか。

 流動化促進は経済界、産業界の悲願だが、この議論を通じて、経済界と労働者やその先にいる多くの生活者のどちらを向いているのかがよくわかる。90年代当時は経済界ですら「痛み」は労働市場の側に先行して現れることに言及していた。まだ誠実だったともいえる。

 それに対して最近はすっかり「とにかく必要」一辺倒になってしまった感がある。政治家がそんな議論に無批判にタダ乗りするなら目も当てられないし、政策論争も深まるまい。

 政策論争が深まらない背景にはメディアの責任もある。新聞、テレビを主戦場としてきた伝統的な日本の政治報道は原則として積極的な議題設定を行わず、受動的な存在である。「政治の声」「政治の姿」を国民に「正しく」伝えようとすることのほうに多くのコストをかけているように思える。別に今に始まった話というわけもでない。

 先日、立憲民主党代表選開票当日に自民党の細野豪志衆議院議員の話を哲学者の東浩紀氏とともに聞いた。

【冒頭無料】細野豪志×西田亮介×東浩紀 与党は本当に生まれ変わるのか──自民党総裁選と日本の行方 @YouTubeより