(西田 亮介:日本大学危機管理学部教授、社会学者)
現実となりつつある「ニュース砂漠」
はじめまして。西田亮介です。
もともとは社会学とメディア研究を背景に、ネット選挙や政党の情報化などメディアと政治の関係の研究と教育を専門とします。偽情報対策やNHKのあり方といったルール(政策)形成、表彰の選考、広報実務などに関わってきました。また15年近く、マスメディアとネットのいろいろな媒体でコメンテーターを務め、原稿を寄稿してきました。
最近は『リハック』といったネットメディアで「再発見」されているような気もしますが、政治とカネ(先の通常国会で参院政治改革特別委員会で参考人招致……)、内閣府と衆院における国葬儀の評価、コロナ禍中の政策広報(厚労副大臣PT)なども経験し、境界領域ならではのいわゆる「ややこしい問題」も得意としています。
これからJBpressで毎週(!)、ニュースの定点観測、週間時評を担当することになりました。月刊誌やネットの不定期連載は経験があるのですが、ウィークリーは初めてのこと。ネット媒体なので、週刊誌のように「白紙ページができてしまう!」といったプレッシャーがないからこそ果たして本当に継続できるのか自分でもいささか心許ないですが、読者の皆さんにぜひとも生温かい目で見守ってほしいところです。
なぜ、いま週刊時評なのでしょうか。そもそも、みなさん、ニュースを読む、見る習慣はお持ちですか?
データによれば、すでに現役世代の多くで新聞紙は読まれなくなっていて、テレビも若い世代ほど視聴時間が劇的に減少しています。もちろん伸びているのは、インターネットの利用と動画視聴。
かくして世界ではニュース離れや、そもそも報道機関がなくなってしまう「ニュース砂漠」が現実のものとなりつつあります。「ネットで『ニュース』を見てる、読んでいる」と言う人もいるかもしれませんが、それは伝統的な意味での「ニュース」でしょうか。
そこで見聞きしている「ニュース」が、決して間違えないという意味ではなく、例えば記者を育成し、支局をもち、記事を相対的に見る「デスク」と呼ばれるコンテンツの品質をマネジメントするポジションを設け、クレームや誤報に対応する体制を整備するなどして信頼できる蓋然性が高いという意味での「トラストな(≒信頼できる)情報基盤」に支えられた伝統的「ニュース」と等価な情報でしょうか。
「そんな時代だからこそ、定点観測的にニュースを振り返り、公の出来事に関心をもってもらう契機が必要なんじゃないか。そもそも公の出来事としてのニュースとは何か……?」
ひょんなことから、そんな話題で、いまは某ネットメディアの顔として知られる、しかし実は長く雑誌やウェブメディアに携わってきた某氏とひとしきり盛り上がりました(Messengerソフトのチャットで)。そのときの会話こそが本連載が始まったきっかけです。