フジテレビ本社(写真:共同通信社)

(西田 亮介:日本大学危機管理学部教授、社会学者)

「一粒で二度美味しかった」地方ローカル局はいま

 4月16日付の読売新聞朝刊に、「良質な番組作りへの責任重い」という題目の社説が掲載されている。

放送100年 良質な番組作りへの責任重い : 読売新聞オンライン

 少し前には毎日新聞社説も同様の論陣を張った。

社説:放送100年の現在地 ネット時代の役割示す時 | 毎日新聞

 今年は1925年にラジオ放送が開始されてから100年の節目にあたる。要は「放送100年」のメモリアルイヤーなのだ。

 ラジオ、そしてテレビの歴史は、日本の社会、文化、政治、そして人々の意識形成に深く関与し、それらと世論形成を主導してきたメディア史なのだ。

 だが、今やメディアの主役がインターネットに移りつつあることは明らかで、放送を取り巻く環境は大きく変わろうとしている。その意味でも「放送100周年」は、放送が果たしてきた役割を振り返り、未来の姿を展望する重要な契機といえよう。

 日本の放送史を概観すると、その出発点は必ずしも民間主導の自律的なものではなかった。

 関東大震災後の社会不安の中で、政府による情報統制の意図もあり、ラジオ放送は国家管理の色合いが濃い形で始まったからである。

 戦後、日本国憲法下で表現の自由が保障され、全国で放送事業を展開する日本放送協会という公共放送と、原則として都道府県単位で放送事業を営む多くの民間放送局が設立された。現在まで続く、いわゆる「放送の二元体制」である。

 放送法は「放送が健全な民主主義の発達に資する」ことを謳うが、そのなかでも特に民間放送は、民主主義に貢献する新しい時代の、多様で新しい言論空間を形成することが期待されたのである。

 民間放送局の設立を主導したのは新聞社であったし、ガバナンスにおいて「お手本」とされたのもまた新聞社であった。

 その後、テレビ時代が本格的に到来すると、放送は娯楽、教養、報道など多岐にわたる情報を国民に届け、共通の話題や文化を提供する大きなメディア産業に成長した。

 しかし、その背後で、キー局中心の系列化が進み、キー局等の番組を広告付きで提供し、地方局はさらにそこに地元企業の広告を挟み込む独特のビジネスモデルが普及した。一粒で二度美味しいビジネスモデルである。

 かくして、放送法の理念とは裏腹に、日本の放送業界の中央集権的構造は強まる一方で、地方局の自律性は限定的なものとなった。

 地方ローカル局の自主制作比率は低下していった。総務省の調べでは、現在の地方ローカル局の番組自主制作比率は10%前後にまで低下した。

 地方ローカル局は経営が難しい局面を迎えているのみならず、もはや現代のコンテンツの水準に叶う番組制作資源が十分に残されていないのではないかという疑念は強く残る。

 インターネットの時代において、提供すべきコンテンツを十分制作しておらず、その役割とはいったいいかなるものかという疑問である。