小泉八雲熊本旧居 写真/mandegan/PIXTA(ピクスタ)
(鷹橋忍:ライター)
連続テレビ小説『ばけばけ』では、舞台が松江から熊本に移った。そこで今回は、主人公・松野トキとレフカダ・ヘブンのモデルである、小泉セツとラフカディオ・ハーンの熊本での生活を取り上げたい。
校長・嘉納治五郎
明治24年(1891)11月15日、ラフカディオ・ハーンの熊本第五高等中学校赴任のため、セツとハーンは、セツの養父母である稲垣金十郎・トミを伴い、松江を離れ、熊本に赴いた。
セツ23歳、ハーン41歳の時のことである。
11月19日、熊本の春日駅(現・熊本駅)に到着したセツたちを、駅頭で出迎えたのが、第五高等中学校の校長・嘉納治五郎(かのうじごろう)である。
嘉納治五郎は教育家で、講道館柔道の創始者である。
明治22年(1889)8月からヨーロッパに留学し、明治24年(1891)1月に帰国。同年9月に第五高等中学校の校長となり、熊本に赴任した。
のちに、日本初の国際オリンピック委員会委員に就任し、大日本体育協会を設立する人物である。
この嘉納治五郎にハーンは惹かれ、敬意を抱いた。
ハーンは吉沢亮が演じる錦織友一のモデル・西田千太郎に、嘉納治五郎は「今まで会った日本人の誰よりも立派な英語を話し、性格は同情心にあふれ、まったく飾らず正直。一度会っただけで、久しい友であるかのような気がする」と報告している(著者・小泉凡 聞き手・木元健二『セツと八雲』)。
セツやハーンらは、嘉納治五郎に案内された手取本町の老舗旅館・不知火館に宿泊した。
この時、ハーンは日本風の食事を所望して、嘉納治五郎を驚かせている。
不知火館には、6泊することとなる。
熊本での生活
同年(明治24年)11月24日、就任式が行なわれ、ハーンの第五高等中学校での教壇生活がはじまった。
セツとハーンの長男・小泉一雄によれば、ハーンの授業数は「1週27時間(時間割は不明)」で、月俸は200円(松江時代は100円)だった(小泉一雄『父小泉八雲』)。
松江時代と同様に、ハーンは生徒からはとても慕われたという(著者・小泉凡 聞き手・木元健二『セツと八雲』)。
ハーンはよい教科書がないことを嘆き、課題文を黒板にすべて書いて、丁寧に説明していった。
また、生徒には彼らの好きな題材で英作文を書かせ、大変に丁寧に添削したという(以上、池田雅之『小泉八雲 日本美と霊性の発見者』)。
ハーンは、本当に優れた教育者だった。
11月25日、セツとハーンたちは、手取本町34番地(熊本市中央区)にある借家に移った(現在は、小泉八雲熊本旧居として、熊本市中央区安政町に移築)。
旧士族・赤星晋策の持ち家だった武家屋敷で、家賃は11円だった。
この家には、セツの養父母・稲垣金十郎とトミ、養祖父の稲垣万右衛門が同居した。
同年12月上旬には、出雲の今市出身の女中のお米よねと、松江の西洋料理屋・二松亭から引き抜いた料理人の松も、この家に入ったと思われる。
女中の指揮も含め、家事は、セツの養母・稲垣トミが取り仕切った。
トミのおかげで、セツはハーン専属のよき助手役に専念できた。
ハーンもトミには深い感謝と敬意の念を抱き続けたという(小泉一雄「亡き母を語る 父八雲の協力者として」 根岸磐井編著『出雲における小泉八雲 再改訂増補第10版』所収 )。