2026年2月19日、ミラノ・コルティナ五輪、フィギュアスケート女子、坂本花織(左)が銀、中井亜美が銅メダル 写真/スポーツ報知/アフロ
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(松原孝臣:ライター)

熱戦が続く、ミラノ・コルティナ五輪。「りくりゅう」こと三浦瑠来、木原龍一組がペアで日本初の金メダルを獲得するなど、日本人が世界のトップで戦うのが当たり前になっている現在、そこに至るまでには、長い年月にわたる、多くの人々の努力があった——。

日本人がフィギュアスケート競技で初めて出場した1932年レークプラシッド大会から2022年北京大会までを振り返るとともに、選手たちを支えたプロフェッショナルの取材をまとめた電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(日本ビジネスプレス刊)を上梓した松原孝臣さんが、ミラノ・コルティナ五輪での日本のフィギュアスケート選手の活躍を振り返ります。

チームメイトの演技を応援

 2026年2月19日。

 イタリア・ミラノのリンクで、坂本花織は4年に一度の大舞台での、最後の演技を終えた。

 今シーズン限りで引退することを表明し、ここまで進んできた。迎えた3度目のオリンピック、ミラノ・コルティナ大会で過ごしたのは、積み上げてきた技術、誇り、スケートへの情熱、そのすべてが込められた日々だった。

 幕開けは、団体戦だった。

 北京オリンピックでは銀メダル。ただ、試合終了時は銅メダルで、そのとき1位だったロシア(ロシア五輪委員会)のドーピング違反による繰り上がりによるものだった。坂本は「今度はほんとうに、銀メダル以上を」と目標を掲げた。

 それを実現するために力を惜しまなかった。打診を受け、ショートプログラムとフリーの両方に出場することを決意したのはその1つだった。

 いざ試合では、どちらも1位となり、チームに貢献する。

 それにとどまらない。チームメイトの演技の応援に力を尽くし、雰囲気を盛り上げるためのふるまいに終始した。

 結果、日本はアメリカとわずか1ポイント差、銀メダルを獲得する。

「北京のときのメダルは、けっこう奇跡な感じでしたけど、今回はほんとうに優勝を狙って頑張ってきた団体戦なので、4年前とはやっぱり気持ちも全然違います。個人戦くらいに今は団体戦も大事なカテゴリーで、その中で全員がほぼ完璧な演技をしたのはほんとうにすばらしいことだなと思いました」

 チームのために頑張る——その思いで挑んだ団体戦を経て、個人戦へと進む。

 ショートプログラムは好演技をみせるが、ジャンプのエッジエラーをとられた影響があり2位で終える。

 迎えたフリー。オリンピックという舞台で見せる試合での演技の、最後の日を迎えた。