神戸へ
明治27年(1894)9月29日、ハーンの日本に関する最初の著書『知られぬ日本の面影』(上下二巻)が、アメリカのホートン・ミフリン社より出版される。
『知られぬ日本の面影』は、年末までの3カ月で三版を重ねるほど好評を博し、ハーンは世界的な名声を勝ち取った。
これにより、ハーンは教育者としてよりも、作家として生きる道に心が傾いたという(工藤美代子『神々の国 ラフカディオ・ハーンの生涯 【日本編】』)。
同年の5月頃から、ハーンは同僚との確執が激しくなっていた。
ハーンは漢文の教師・秋月悌次郎(胤永)のことは心から敬愛していたが、他の同僚とはあまり良好な関係ではなかったという。
精神的支えであった嘉納治五郎が転任したことも、痛手であった。
もともと松江ほど熊本を愛せなかったハーンは、英字新聞社「神戸クロニクル社」に転職することを決めた。
給与は100円と、今までの半額となるが、ハーンはそれでも熊本を離れたかったようである。
同年10月6日、セツとハーンの一家は、熊本を離れ、神戸へと向かった。