利用者の減少に歯止めがかからず、全国各地で続く鉄道の廃線。とりわけ廃線となるのは中山間地を含む路線が多く、列車が行き交った多数のトンネルも使われなくなる。かつて日本が持つ技術を結集して開通させたトンネルを残し、地域の活性化に結びつける例も出てきた。その最前線を見ていこう。
(花田 欣也:トンネルツーリズムプランナー、総務省地域力創造アドバイザー)
日本の鉄道と廃線トンネルの現状
3月16日に北陸新幹線の金沢~敦賀間が延伸開業した。能登半島地震による沿線地域の観光への影響が懸念されたものの、東京~敦賀間が最速3時間8分で結ばれることとなった。とりわけ新幹線が初めてお目見えした福井県では恐竜博物館などが人気を集め、同館にアクセスする第三セクター・えちぜん鉄道でも、車内が恐竜づくしの“恐竜列車”の予約が好調で増便されるなどの盛り上がりを見せている。
華々しいニュースの一方、消えゆく鉄路もある。
JR北海道では根室本線の富良野~新得間が3月31日をもって鉄道営業を終了した。2016年8月の台風で甚大な被害を受けたことも要因だが、少子高齢化の影響から恒常的な赤字の続く路線はJR、私鉄を問わず全国に数多く、BRT(バス高速輸送システム)やバスへの転換もしくは廃止の検討を進めている路線も少なくない。
1980年の時刻表に掲載されている索引地図と現在の時刻表のものと見比べてみると、かつて鉄道が運行されていた地方の支線にバス転換、すなわち廃止された鉄道線が目立つ。
それら廃止路線の中には地域の基幹産業の発展を担ってきた歴史ある鉄道も多い。一例を挙げれば岐阜県の旧国鉄神岡線(のちに第三セクター神岡鉄道に転換後、2006年に廃止)は、かつて東洋一といわれた神岡鉱山への貨物等の輸送用に設けられた路線で、高山本線の猪谷から鉱山のまち・神岡を結んでいた。
こうした山深い地域に敷設された鉄道にはトンネルや橋梁などの土木構造物が不可欠で、旧国鉄神岡線に至っては高原川に沿った深い渓谷地帯に高度成長期に建設されたため、路線全体の約6割がトンネルであった。
廃線となった鉄道には中山間地を含むケースが多く、路線上に設けられたトンネルも廃止されることになる。しかし、鉄道トンネルは安全上、土木構造物の中でも特に丈夫に造られており、かつ山を掘り抜いた場所に存在するため、廃線後に破壊することは困難だ。そこで「ポータル」と呼ばれる出入口を中心に一部をコンクリートで埋めたり、予算的に難しい場合には出入口を鉄柵で立入禁止にしたりするなどの対処が取られている。
自治体などの技師不足もあり、廃線トンネルの管理が難しくなっているが、一方で、先人の優れた技術と血の滲むような労苦の末に開通に漕ぎつけ、地域の悲願であった交通利便性を大きく改善させたトンネルを残し、活用に取り組んでいる地域もある。地域の公道への転用や遊歩道化など生かし方はさまざまだが、本稿では、観光に活用し、地域の活性化に寄与している事例を連載形式で紹介する。
初回は「廃線ウォーク」を全国でいち早く定期イベント化した碓氷峠を取り上げる。