敷かれたままのレールが、トンネルを越えた向こうにまでいざなうようだ(写真はいずれも安中市観光機構提供および筆者撮影)
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 廃線。営業が廃止(中止)された鉄道路線のことだ。通常、廃線跡は時間が経つと自然に飲み込まれたり、道路や住宅地になってしまったりして、鉄道があった痕跡が年月とともに薄れていく。

 だが、廃止から22年が経っても当時のままの姿を保っている廃線がある。それが信越線碓氷峠(うすいとうげ)だ。ここでは、いまだに現役として使えそうな状態の線路を歩くイベント「廃線ウォーク」が運営されている。

 鉄道ファンなら廃線を歩くというだけで興味があるだろう。だが、そうでない人にとっても見どころが多いのが碓氷峠の最大の特徴だ。その多彩な魅力を実感するために「廃線ウォーク」に参加した。

 主催者によると、毎回の参加者は鉄道ファンが多いものの、山歩きが趣味の人、イベントが好きだが廃線ウォークは初めてという人など、参加者の目的は幅広いという。鉄道にあまり興味がなくても楽しめる「魅力度第一級の廃線」を2回に分けて紹介しよう。

緑の木々を縫い、いまだに現役として使えそうな線路を歩いていく

急勾配克服のために希少技術を採用

 廃止されたのはJR信越線横川(群馬県安中市)から軽井沢(長野県軽井沢町)の区間。22年前の1997年に長野行新幹線(当時の名称、現在は北陸新幹線)が開通したのにあわせてのことだ。

 碓氷峠が有名なのは、その険しさにある。横川-軽井沢間の線路長は11.2kmだが、最大の高低差が554m。歩道や自動車道ならなんということもないが、車輪がスリップしやすい鉄道にとっては非常に厳しい勾配である。このため、国内では非常に珍しい技術が使われてきた。

 横川-軽井沢間が開通したのは1893年(明治26年)とかなり古い。このときは、ドイツの登山鉄道で使われていた「アプト式」が採用された。ギザギザの「ラックレール」と機関車(当初は蒸気機関車、のちに電気機関車)に据え付けた歯車をかみ合わせて走行する方式である。さらに、険しい山の中を通すため、26本ものトンネルが掘られた。これまで国内でアプト式が使われた鉄道線路は、ここと大井川鐵道井川線の2カ所しかない。

横川駅に隣接する鉄道テーマパーク「鉄道文化むら」に展示されているアプト式線路。2本のレールの間にあるのがラックレール

 アプト式はスリップには強いがあまり速度が出せない。このため、電気機関車の性能向上に伴って、アプト式ではない別の線路を新たに作ったのが1963年(昭和38年)である。アプト式の線路(単線、以下「旧線」)と新しい線路(開通の3年後に複線、以下「新線下り線」「新線上り線」)は、一部重なっているが、大部分はトンネルも含めて別ルートである。

 性能向上とはいうものの、それでも碓氷峠の勾配は通常の列車(電気機関車が客車を牽引する)や電車には厳しい。このため、この区間は2台の電気機関車を増結するという手法をとった。下りの列車や電車の場合、横川に停車して後ろに2台の機関車を連結。碓氷峠を登り切って軽井沢で機関車を切り離す。このような機関車増結も国内では非常に珍しいことだった。