ローカル鉄道の存廃について各地で議論が進められつつあるが、廃線後の活用のひとつの手法として「レールマウンテンバイクで廃線跡を“漕ぐ”」体験が人気を呼んでいる。今回は観光コンテンツとして幅広い支持を集め、不動の人気を誇る岐阜県飛騨市の旧神岡鉄道跡・レールマウンテンバイク「Gattan Go!!」(以下、ガッタンゴー)の事例を紹介する。
(花田 欣也:トンネルツーリズムプランナー、総務省地域力創造アドバイザー)
「奥飛騨の地下鉄」廃止から18年、伸び続ける利用者数
レールマウンテンバイクとは、廃線後に残ったレールに沿って移動できる自転車に乗り、沿線の風景を楽しむものだ。北海道の旧国鉄美幸線跡などで始まった。
今回取り上げる神岡の場合、レール上を移動するガイドローラーが付いた鉄製のフレームに2台の電動アシスト付き自転車をがっちり固定し、ペダルを漕いでレール上を自走するものだ。神岡では地元で制作したオリジナルのフレームを使っている。
旧神岡鉄道の前身は国鉄神岡線(1966年開通)で、高山本線の猪谷(いのたに)と神岡を結ぶ。飛騨山脈の奥深くをゆく全長20.3km(神岡鉄道は19.9km)の盲腸線(終点駅が行き止まりの路線)であった。
高度成長期に開通したこの路線の大きな役割は、銅や鉛、亜鉛などの産出量が国内屈指と言われた神岡鉱山の貨物輸送にあった。内陸部の山間に位置する神岡の鉱山輸送にあたっては、古くは明治末期に馬車軌道が敷設され、その後、三井金属鉱業が急峻な地形に軌間610mm(狭軌)の専用鉄道を運営するなど、さまざまな形態で取り組んできた歴史がある。
しかし、トラックによる貨物輸送への転換が進んだことで、国鉄神岡線から第三セクター方式で引き継いだ神岡鉄道も2006年に廃止。約20kmの路線の6割ほどをトンネルが占めたことから、「奥飛騨の地下鉄」とも呼ばれた神岡鉄道では、廃線後のトンネル、橋梁は線路とともに撤去されずに残った。その一部区間がNPO神岡・町づくりネットワーク(以下、NPO)の運営の下、レールマウンテンバイクにより一般公開されている(線路跡などのハードは飛騨市所有による上下分離方式)。
ガッタンゴーの年間利用者数の推移を見てみよう。神岡線の廃止後、2011年度までは春~秋の連休のみの限定的な運行だったが、その後利用者数が堅調に伸びている。2020年度にコロナ禍の影響が見られるものの軽微にとどまり、2021年度には早くも4万5000人台まで復活、2023年度には営業開始17年目で初の年間7万人を突破している。