
約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?
流浪する傭兵軍団のトップ劉備が、天下を狙える男になった秘密
劉備は161年に生まれ、黄巾の乱(184年)に義勇軍を立ち上げてから、戦乱の中で戦い、各地を流浪していきます。よく知られたことですが、劉備が天下の一角を担う勢力となったのは、彼の晩年の頃であり、劉備は遅咲きの英雄だったといえます。
袁紹と曹操が激突した官渡の戦い(200年)で袁紹が敗れたことで、劉備は荊州の劉表の元に身を寄せています。劉表が支配していた荊州は比較的安定した時期が長く、後漢王朝の崩壊の戦火を避けた優秀な人材が荊州に集まっていたのです。
この隠れた人材の宝庫に劉備が飛びこんだことが、のちの劉備軍団の隆盛を生み出します。そのきっかけを作ったのは、諸葛亮を劉備に紹介した徐庶であり、当時すでに歴戦の武将だった劉備が、(当時は)実績のない天才諸葛亮を三顧の礼で迎えた劉備の謙虚さでした。
もし、袁紹が敗れた時に、劉備が逃げ込んだ先が荊州でなければ、劉備は歴史に蜀の皇帝として名を残すことはなかったかもしれません。その意味で「優れた人材の宝庫(荊州)」に劉備が飛び込んだことは、彼と軍団の飛躍の可能性を劇的に高めたのです。