日本の鉄道史、土木史において、永遠に語り継がれる峠の鉄道

「廃線歩き」「廃線ウォーク」というワードを耳にしたことはないだろうか。

 草ぼうぼうの中をかき分け、道なき道を歩く「廃線ウォーク」。かつて熟練なマニアの世界だったが、一般の人も楽しめるようにした先駆的存在が、一般社団法人安中市観光機構の企画・運営による碓氷峠の「廃線ウォーク」である。

新緑のまぶしい春の廃線ウォーク

 2018年10月の事業開始以来、コロナ禍の間にもYouTubeでAIキャラクターを活用した映像などでファンを着実に増やし、昨年度には年間延べ1800名の参加者を集めた人気コンテンツだ。

 横川(群馬県)から軽井沢(長野県)までの鉄道開通は明治26(1893)年。浅間山へ向けてひたすら上り続け、両駅の間にある碓氷峠には66.7パーミル(水平方向に1000メートル進んだとき66.7メートルの高低差が生じる勾配)という日本の鉄道史に残る急勾配が続く。

 急勾配を登るため、当時ドイツの山岳鉄道で使用されていた「アプト式」を採用し、1年9カ月という驚異的な早さで鉄道を敷設した。

 山岳地帯を貫くトンネルの数は当時26本にのぼった。トンネル用の官製煉瓦は埼玉県の深谷などから大量に輸送し、横川からは国道に馬車鉄道を敷設して運搬した。昭和38(1963)年に新線に付け替えられた後も、国鉄屈指の急勾配を克服するためにこの区間専用の電気機関車が配備された。下り列車の場合は横川駅で最後尾に2機を増結し、先頭の運転士らとの協調運転により軽井沢まで運行した。日本の鉄道史、土木史上において、永遠に語り継がれるであろう峠の鉄道である。

明治26年開通の旧線は遊歩道「アプトの道」として歩ける

 碓氷峠の「廃線ウォーク」は、1997年の長野行新幹線(当時)の開業に伴い鉄道が廃止された旧信越本線の横川~軽井沢間11.2kmに残されたトンネルや橋梁を自治体が管轄し、安中市観光機構がイベント時のみガイド付きで案内するものだ。碓氷峠の大自然を肌で感じながらその貴重な歴史の一端を学ぶことができる。

 この区間に残る明治以来の鉄道遺構群は国指定重要文化財で、後述する旧線「アプトの道」に残る碓氷第三橋梁(通称・めがね橋)や煉瓦建築の残る丸山変電所跡をはじめ、一帯の新旧のトンネルや橋梁のほとんどが重要文化財である。

壮大な煉瓦建造物碓氷第三橋梁(めがね橋)は旧線アプトの道で見学可