今回は大河ドラマ『光る君へ』第44回「望月の夜」において、数えで9歳にして践祚した、道長の外孫・後一条天皇(敦成親王)を取り上げたい。
文=鷹橋 忍
栄花の初花
敦成親王は、寛弘5年(1008)9月11日に、外祖父・藤原道長の土御門第で生まれた。
塩野瑛久が演じた父・一条天皇が数えで29歳、見上愛が演じる母・彰子(道長と黒木華が演じる源倫子の長女)が21歳の時の子である。
当時、彰子に仕えていた紫式部は、敦成親王出産の一部始終を、『紫式部日記』に記している。
道長の外祖父摂政の夢を叶えることになる敦成親王の誕生を、歴史物語『栄花物語』巻第十一「つぼみ花」では、「栄花の初花」と称している。
彰子は翌寛弘6年(1009)11月25日にも、皇子を出産した。後に後朱雀天皇となる敦良親王である。
二人の皇子の誕生に道長は歓喜した。
『紫式部日記』には、「左に右に孫宮を見させて頂けるとは嬉しいこと」と言い、寝ている二人の孫の帳を何度も開けて覗いたことが記されている。
4歳で皇太子に
一条天皇には敦成親王よりも先に生まれた、片岡千之助が演じる敦康親王という第一皇子がいた。敦成親王より9歳年上だ。
敦康親王の母は、一条天皇が寵愛する高畑充希が演じた定子(父は、道長の長兄・井浦新が演じた藤原道隆)で、長保2年(1000)、この段階では唯一の皇位継承者候補であった敦康親王が2歳の時に、亡くなっている。
定子が死去した年、彰子は13歳で、すぐに一条天皇の皇子を産むことは期待できなかった。また、彰子が将来、必ず皇子を産むという保証もない。
よって、彰子が皇子を出産できず、敦康親王が皇統を継いだ時の保険として、敦康親王は彰子が養母として育てることとなった。
ドラマでも描かれていたように、彰子は敦康親王を慈しんで育てた。
一条天皇の次の天皇は、木村達成が演じる居貞親王(後の三条天皇)に決まっていたが、その次の東宮(皇太子)は定められていなかった。
一条天皇は、次の皇太子には、寵愛した定子の忘れ形見である第一皇子・敦康親王を望んでいた。
彰子も、「敦康親王の御事を、帝の在位中に帝の願い通り、実現させて差し上げたい」と思ったという(『栄花物語』巻第八「はつはな」)。
だが、当時の最高権力者である道長は、外孫である敦成親王を皇太子にしたいと考えていた。
寛弘8年(1011)5月に病を発した一条天皇は、渡辺大知が演じる藤原行成の説得を受け、敦康親王の立太子を断念。敦成親王を皇太子とする決意をした(『権記』寛弘8年5月27日条)。
同年6月13日、一条天皇は譲位し、居貞親王が践祚して三条天皇となる。皇太子には敦成親王が立った。
一条は同年6月22日に32歳で崩御する。敦成親王、4歳の時のことである。