文=松原孝臣 撮影=積紫乃

2024年3月23日、世界選手権ペアで銀メダルを獲得した三浦璃来、木原龍一組。木原の急病で表彰式を欠席したため、この日あらためて行われた 写真=共同通信フォト

「ほめが足りない」

 3月下旬に開催されたフィギュアスケ―トの世界選手権ペアで銀メダルを獲得。

 シーズンを終えた今、三浦璃来はこう振り返る。

「四大陸選手権からの6週間がほんとうにいい練習で、時間を無駄にすることのないこの練習を続けていけば必ず結果が出ると思えました。来シーズンのスタートからずっと続けていけばいい結果が得られると思うので、このシーズンで自分たちにとっていい練習というものを知ることができてよかったです」

 木原も言う。

「6週間、いい期間を過ごしていたので試合に向けてのいい練習の仕方を学べて、大切なオリンピックシーズンの前に学べたことに意味があったんじゃないかなと思います」

 学べたことはそれにとどまらない。

 2人にとっての怪我は今シーズンだけではなかった。昨シーズンの開幕前、三浦が肩を怪我し、今シーズンは木原が腰椎分離症に悩まされた。

「今シーズンは僕が3カ月間動けない期間があったので、リフトやペアの要素を戻すのに苦労しました。今シーズンの方が2人とも辛かったかな、と」(木原)

 元来の責任感の強さもあり、木原はときにネガティブになることもあったという。謝ることもあった。

「いつも『ごめん』と言ってしまっていましたね。(ブルーノ・マルコット)コーチにも、璃来ちゃんにも。でもブルーノからは『それは迷惑なことじゃないんだ』と励ましていただいて、コーチだけじゃなく璃来ちゃんにも全然気にしなくていいと言われました」

「(三浦)『試合に出場できなくてごめんね』とかありましたね」

「(木原)深い謝罪じゃなくて、いろいろなところで話しました。世界選手権の期間中も……終わったあとかな、『俺のせいで迷惑かけちゃったから、来シーズンはまた取り戻していこうね』って話をしました」

 腰椎分離症の発症後、責任から苦しむ木原の姿に三浦はこう思っていたという。

「どうやったら支えられるのかをずっと考えていました」

 その中でとった行動がある。

「ほめていました。リフトのタイミングが合わなくなることが多かったので、例えばいいリフトをしたときに『今のリフトよかったよ』って」

 すると木原は言う。

「自信を失いかけている時期なので、僕の方から要望したんですけど。『ほめろ』と」

「(三浦)『ほめが足りない』って言ってた(笑)」

「(木原)当たり前のようにリフトできないんだよ、みたいな話になって」

「(三浦)ほめてあげる」

「(木原)『ありがとう』って感じになりました。四大陸選手権が終わった後もリフトの調子が完全に戻らなかったので自信を失う期間があったのですが、その中で先ほどのくだりになって、ほめていただけるようになりました」