(スポーツライター:酒井 政人)
東京五輪からの成長とメダルへの距離
今夏に行われたパリ五輪。男子3000m障害に出場した三浦龍司(SUBARU)がまたしても快挙を成し遂げる。
決勝は前半を集団後方でレースを進めると、13番手で残り1周を迎えた。ここから集団が一気にペースアップする。そして世界記録保持者のラメチャ・ギルマ(エチオピア)が障害物に脚を引っかけて激しく転倒。三浦も水濠の着地でバランスを崩したが、何とか踏みとどまる。壮絶なスパート合戦で8位入賞(8分11秒72)を確保して、ゴールに駆け込んだ。
「決勝はサンショーの面白いところ、醍醐味、難しいところが全面的に表れたレースだと思います。楽しかったな、充実していたな、という思いがすごく強かったです」
3000m障害は中長距離レースのなかで異色の種目だ。走りながら高さ約91cmの障害物をトータル35回(障害物28回、水濠7回)クリアしていくが、障害物はハードルと異なり踏み倒すことはできない。危険と隣合わせのなかで、スピード勝負を演じる必要があるのだ。
「怖さもあるので、常に障害物との距離感を意識しているんですけど、集団のなかで走っていると視線から(障害物が)消えてしまう場面もあります。決勝では振り落としのあるレースをするからこそ難しさが一層高まる。ラスト1000mの駆け引きはサンショーの味が出ていた場面だったなと思います」
三浦は東京五輪で7位に食い込んでおり、オリンピックは二大会連続の入賞となる。同じ入賞でも三浦のなかでの“価値”は異なるようだ。
「東京五輪は勢い任せで走っていた部分もあると思います。決勝で戦うというより、腕試しみたいな感じでした。予選でポンと記録(8分09秒92)が出て、決勝はワクワクというか楽しかった印象が強かったんです。でもパリではメダルを目指して、勝負しにいきました」
順位とはしては1つ下げたかたちになるが、東京五輪よりもメダルに近づけるチャンスがあったと分析している。
「2000m以降は集団後方ではなく、集団の真ん中にいたかった。そうすればアクションが起きた瞬間に反応できますし、自分のタイミングで仕掛けにいく環境も作れたんじゃないかなと思います。逆に言うと、僕がしたかったレースを2位に入った米国人選手がやったんです。後悔はあまり感じなかったんですけど、ラスト1000mからの駆け引き、状況判断でどれだけレースが変わったんだろう、と考えることはありますね」
銀メダルを獲得したK.ルークス(米国)は大会前の自己ベストが8分15秒08だった選手(三浦は8分09秒91)。五輪決勝の舞台で思い切った走りを見せて、タイムも8分06秒41まで一気に短縮した。
だからこそ三浦は、「実力だけじゃなく、レースを読む力や思い切りの良さで変わってくると思いますし、障害のアクシデントもサンショーではよくあること。トータルが実力なので、いろんな意味でメダルの可能性はあるのかな」と感じている。