(2)筆者コメント

 石破氏は論文の中で、アジア版NATOに加盟するであろう国家に言及していない。

 総裁候補者討論会で、他候補から「集団的自衛権の全面行使と憲法の関係はどうなるのか。また具体的にどの国が入るのか」と当然の質問が出ている。

 これに対し、石破氏は次のように答えた。

「まさしくそれらの点を、これから議論を詰めたい。中国を最初から排除するということを念頭に置いているわけではない」(出典:月間正論オンライン島田洋一著「石破茂氏のアジア版NATO構想は反米か媚中か?」2024年10月1日)

 石破氏は論文の中で、「中国を西側同盟国が抑止するためにはアジア版NATOの創設が不可欠である」と述べている。

 それなのに、「中国を最初から排除するということを念頭に置いているわけではない」と述べている。これは明らかに矛盾している。

 もう一つ気になる発言は、「中国とロシアと北朝鮮の『核連合』に対して、米国の当該地域への拡大抑止は機能しなくなっている」と述べていることである。

 つまり、今、日本国民は核の傘のない状態に置かれているということである。

 ところが幸いにも、2024年7月21日付け読売新聞は次のように報道している。

「日米両政府は、米国の核を含む戦力で日本を守る拡大抑止に関する初の共同文書をとりまとめる方針を固めた。年内の策定を目指すという」

「具体的には、米国が核兵器などを通じて日本周辺の抑止に貢献するとの決意を文書に盛り込む」

「日本がどのような事態に直面した場合、米国が第三国に対する報復を実施するか――など、平時から有事までを想定して米側が提供する能力について整理し、方向性を記すものとみられる」

 国民は、新聞報道のとおり進むことを願っている。

 話は変わるが、米国の有名な研究所に論文を寄稿するとなると、一般的に考えれば、高位な人ほど、事前に専門家と主題について議論するか、あるいは専門家に査読を依頼するであろう。

「無謬性」という言葉がある。

 自分の理論や判断に間違いがないと思っていることである。

 半藤一利氏は、(日露戦争後)日本は、無謬性を信じるエリート集団の思考停止リーダーシップにより、軍国主義と無謀な戦争へ突っ走り、ひたすら破滅の道を進んでしまったと指摘している。

 石破新首相がこのような「無謬性」にとらわれないことを切に願うものである。