米国は蛮行を永遠に恥じ続けなければならない(Hitesh ChoudharyによるPixabayからの画像)

 現在放送中のNHK連続テレビ小説「虎に翼」の中で、いわゆる原爆裁判が取り上げられている。

 すなわち、ドラマの主人公・猪爪寅子が裁判官として所属する東京地方裁判所の民事二十四部が、広島・長崎の原子爆弾による被害者が提起した、日本政府に損害賠償を求める訴訟を担当することになる。

 ところで、戦後、日本政府は米の原爆投下に対して米国政府に抗議したのであろうか。

 2007年7月3日付読売新聞は、次のような内容の記事を掲載している。

「政府は、長崎に原爆が投下された翌日の1945年8月10日、中立国のスイスを通じて『本件原爆(原子爆弾)を使用せるは人類文化に対する新たな罪状なり』と米国に厳しく抗議した」

「しかし、終戦後は、原爆投下について『米国に対して正式に抗議したことはないはずだ』(外務省筋)」

(出典:衆議院「米国による原爆投下に対する日本政府の対応に関する質問主意書」)

 戦後、自国の安全保障を米国の核抑止力に頼ってきた日本政府は、核兵器の使用そのものが国際法上違法とは言えなかったのであろうと筆者は見ている。

 さて、原爆裁判に戻る。

 1955年4月、広島の下田隆一氏ら3人が岡本尚一弁護士を代理人として、国を相手に束京地裁に損害賠償と米国の原爆投下を国際法違反とすることを求めて訴訟を提起した。

 岡本尚一弁護士は訴訟を起こす前に、原爆投下は国際法違反であり、米政府や関わった指導者に損害賠償を求める民事訴訟を起こせるという持論を『原爆民訴或問(みんそわくもん)』と題する9ページの冊子にまとめ、「原爆裁判」を呼びかけるために広島および長崎の弁護士会員全員に郵送した。

「原爆裁判」に関して束京地裁は、1963年12月に判決を言い渡した。

 判決は、原告の損害賠償請求を棄却したが、「米軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」とするものであった。

 この裁判はその後、被爆者援護施策が前進するための大きな役割を担ったとされる。

 訴訟提起後の1957年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、判決後の世論の高まりもあり、1968年9月には「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」が施行された。

 ところで、原爆裁判(東京地裁判決1963年)と同じように、シベリア抑留訴訟(最高裁判例1993年)や東京大空襲訴訟(最高裁判決2013年)においても国は、国の賠償責任は認めなかった。

 その背景には、「戦争という国の存亡をかけた非常事態のもとでは、すべての国民は多かれ少なかれ生命、身体、財産の被害を耐え忍ぶことを余儀なくされるが、それは国民が等しく受忍しなければならないやむを得ない犠牲であり、国家は被害を補償する法的義務を負わない」とする「戦争被害受忍論」がある。

 以下、初めに岡本尚一弁護士が執筆した『原爆民訴或問』について述べ、次に原爆裁判における原告及び被告の弁論の内容について述べ、次に、「戦争被害受忍論」について述べ、最後に核兵器の威嚇または使用の合法性に関する国際司法裁判所(IJC)の勧告的意見について述べる。