(2)裁判における弁論の内容

ア.原爆訴訟提起(1955年4月25日)

(ア)原告

 原爆訴訟は、1955年4月25日に東京地方裁判所原告3人、そしてその翌日に大阪地方裁判所原告2人により提訴された。

 原告代理人は、両裁判所とも岡本尚一氏、松井康浩氏ら10人(大阪4人、東京5人、広島1人)であった。

 1960年2月に東京地裁で第1回口頭弁論が開かれ、東京地裁と大阪地裁の訴訟が併合がされて一緒に審理されることになった。

(イ)請求の趣旨

 被告国は、原告下田に対して金30万円。原告多田、原告浜部、原告岩渕、原告川島に対して各金20万円を支払え。

(ウ)請求の原因

・米国は、広島と長崎に原爆を投下した。

・原爆は人類の想像を絶した加害影響力を発した。

・原爆投下は、戦闘員・非戦闘員たるを問わず無差別に殺傷するものであり、かつ広島・長崎は日本の戦力の核心地ではなかった。

 しかも、フランク委員会の勧告を無視して無警告で投下した。この投下は、防衛目的でも報復目的でもないことは明らかである。

・原爆投下は、実定国際法に違反する。

・仮に、原爆投下が戦闘行為であると仮定しても、国家免責規定の適用はあり得ない。実定国際法に違反するのみならず、その加害影響力の性質上、投下は許されないからである。

・広域破壊力と人体に対する特殊加害影響力は人類の滅亡をさえ予測せしめるものであるから、人類と人類社会の安全と発達を志向希求する国際法とは相容れない。

 仮に、実定国際法が適用されないとしてもその使用は自然法ないし条理国際法が厳禁するところである。

・国家免責規定を原爆投下に適用することは人類社会の安全と発達に有害であり、著しく信義公平に反する。

・米国は平和的人民の生命財産に対する加害について責任を負う。被害者個人に賠償請求権が発生する。

・対日平和条約によって、日本国民個人の請求権が雲散霧消することはあり得ない。

 憲法第29条第3項(筆者注:第29条第3項:私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる)により補償されなければならない。

・補償されないということであれば、吉田茂全権たちは、日本国民の請求権を故意に侵害したことになるので、国家賠償法(筆者注:国家賠償法第1条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、 故意又は 過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる)による賠償義務が生ずる。

・人類の経験した最大の残虐行為によって被った原告らの損害に対して、深くして高き法の探求と原爆の本質に対する審理を行い、その請求を認容していただきたい。

イ.被告国の答弁書の内容(19551年10月21日)

・原告の請求を棄却する。

・被告らに対する補償義務または賠償義務は否認する。

・原爆使用が、国際法に違反するとは直ちには断定できない。したがって、原告らに賠償請求権はない。

・原告の主張する権利は、各国の実定法に基礎を有することなく、したがって、権利の行使が法的に保障されていないもの、権利として実行されるべき方法ないし可能性を備えないものである。

・講和条約によって請求権が認められるとしても、それは講和条約によるものである。敗戦国の国民の請求が認められることなど歴史的になかった。

 原告らの請求は、法律以前の抽象的観念であるというだけではなく、講和に際して、当然放棄されるべき宿命のもの。

・原告が請求権なるものを有するとしても、それは何ら権利たるに値しない抽象的観念でしかない。そのような観念の存在や侵害を前提とする請求は失当である。

・原告らの権利は、平和条約によって、はじめて実現できなくなったものではない(元々ないのだ)。

・憲法第29条は、これによって直ちに具体的補償請求権が発生するわけではない。具体的立法が必要だ。

・国は、原告らの権利を侵害していない。平和条約は適法に成立しているので、締結行為を違法視することはできない。被告に国家賠償義務はない。

・被告は、被爆者に対して深甚の同情を惜しむものではないが、慰藉(いしゃ)の道は、他の一般戦争被害者との均衡や財政状況等を勘案して決定されるべき政治問題である。

ウ.原告による被告への釈明要求(1955年10月22日)

・被告は原爆投下が国際法に違反することを否定しているが、1945年8月10日、日本政府は、スイス政府を通じて、米国に対して原爆投下が国際法に違反するとの抗議を行い、非人道的兵器の使用放棄を申し入れている(岡本弁護士は、「世紀に残る大抗議」としている)。

 この抗議と矛盾するではないか。

・被告は、原告の主張は法的権利ではないというが、それは的外れである。

・「講和に際して当然に放棄される宿命」とは法律的にどのような意味か。

エ.被告の釈明(1956年2月8日) 

・当時交戦国として新型爆弾の使用の放棄を求めたが、それは、新型爆弾の使用が戦時国際法の原則および人道の根本原則を無視したものであったからである。

 しかし、交戦国という立場を離れて客観的に眺めると、原子兵器の使用が国際法上違法であると断定されているわけではない。

・原告は、原爆投下を国内法上の不法行為としているようだが、原爆投下は害敵手段としてのものであり、国内法の不法行為として取り上げられる問題ではない。原告の主張は的外れである。

・古来、敗戦国が戦勝国に賠償を請求した例はない。戦勝国に国際法違反があった場合も請求した例がない。

 賠償請求権が放棄される例もある。これは国際慣例である。よって、「放棄される宿命である」

オ.東京地裁判決(1963年12月7日) 

・米軍による広島・長崎への原爆投下は、国際法が要求する軍事目標主義に違反する。かつ原爆は非人道的兵器であるから、戦争に際して不必要な苦痛を与えてはならないとの国際法の基本原則に違反する。

・しかし、国際法上の権利をもつのは、個別の条約で認められていない限り、国家だけである。被爆者は国内法上の権利救済を求めるしかない。

・日本の裁判所は米国政府を裁くことはできない。

・米国法では、公務員が職を遂行するにあたって犯した不法行為については賠償責任を負わないのが原則とされている。

・結局被爆者は、国際法上も国内法上も権利をもっていない。対日講和条約で全権団が権利を放棄しても、被爆者には何の影響も与えていない(元々権利がない)。

・被爆者が十分な救済策をとられなければならないことはいうまでもないが、それは裁判所の職責ではない。政治の貧困を嘆かざるを得ない。

(3)筆者コメント

 この原爆裁判の判決では原告個人の損害賠償請求権は認めなかったものの、原爆投下(核兵器使用)が国際法違反であることを認めた最初の公権的判決として極めて有名である。

 その後、1996年の国際司法裁判所(IJC)における勧告的意見において核兵器の使用または威嚇は一般的に国際法に違反するとの判断がなされた。この原爆裁判の判決が、その先例的意味を持つとされる。

 また、既述したが、国の結果責任の可能性や政治の貧困を嘆いたことから、原爆特別措置法に道を開いたともいわれている。