(2)筆者コメント

「在外財産補償請求事件を通して生み出された受忍論は、その後の戦後補償関連訴訟で繰り返し援用されることによって、判例としての地位を確たるものにした」

「そのため、いかにも法律論であるかに映るが、上記で示したように、受忍論は法律論を装った政治論であると結論づけることができる」

 これは、九州大学准教授直野章子氏の結論である。筆者も同感である。

 筆者は、受忍論が生まれた背景には2つの事情があったと見ている。

 一つは、「一人ひとりに補償していたら、国家財政がもたない」という敗戦国日本の財政上の事情もあったのであろう。

 もう一つは、戦前の我が国においては、公権力の行使について国が責任を負わないという国家無答責の法理が有力であったということの影響が当時も残っていたのであろう。

 戦後、日本国憲法の施行に伴い、国家賠償法(昭和22年法律第125号)が制定され、従来、国の権力行為については、国の公務員が職務上違法に損害を与えた場合でも国は責任を負わない(いわゆる国家無答責の法理)とされていたが,このような行為についても,損害賠償の請求が可能となった。

 受忍論により原告の請求を棄却してきた司法だが、必ずしも被害者救済の必要がない、と言っているわけではない。

「立法によって解決すべき問題」という指摘が大抵なされている。

 そして、戦争被害者を救済する措置法としては、原爆特別措置法が成立している(文末に追記あり)。