2.原爆裁判における原告および被告弁論内容

 本項は、日本反核法律家協会ホームページの「資料1原爆裁判基礎データ」を参考にしている。

(1)原爆裁判の経過

1945年8月6日 広島に原爆投下
   8月9日 長崎に原爆投下
   8月15日 終戦

1952年4月28日 講和条約発効

1953年2月 岡本弁護士(1892-1958)は、広島・長崎の全弁護士に対して、被爆者を原告とし、米国政府およびハリー・トルーマン(大統領)を被告として、原爆投下の国際法違反を明確にし、被った被害の賠償を求める「原爆裁判」を呼びかけるため「原爆民訴或問」を広島および長崎の弁護士会員などに郵送した。

 米国での裁判について、米国の法律家からこの裁判には法律的根拠がない、日米親善に有害であるとして、全面的に反対され、さらに高額な弁護士費用最低2万5000ドル(1ドル360円換算で900万円)が必要との回答を受け、米国での裁判を断念した。

1954年5月 戦勝国の裁判所で原爆投下の違法性を問う裁判は断念

1955年4月25日 原爆訴訟提起 東京地裁、大阪地裁の裁判は東京に併合

1958年4月5日  岡本弁護士死去

1963年3月5日 最終弁論

1963年12月月7日 東京地裁判決(裁判長裁判官:古関敏正、裁判官:三淵嘉子、裁判官:高桑昭)

 原告側は、敗訴判決であったが、国際法違反などを認定した内容を評価し、控訴せず判決は確定した。