核兵器のない世界、戦争のない世界が「平和」なのだろうか。並行して、2024年のこの社会や、わたしたちの暮らしの足元で起きている不具合や民主主義の綻びといったことについても考えて議論をしなければならないはずだが、果たしてそれができているだろうか。誰かの体験を語り継ぐだけではなく、自分の考えや思いを持ち、それを堂々と自分の言葉で語ることが促されているだろうか。

硬直化した平和都市でいいのか

 少なくとも、戦争の理不尽を描いた『はだしのゲン』が排除され、核抑止論は維持され、米国の原爆投下責任を問う声はかき消され、大日本帝国憲法下の教育方針が堂々と令和の世に生き続ける、そんな社会が「平和」だとは到底思えない。

 …と、あれこれ考えていると、ナラティブ(語り)の硬直感、議論をしない空気感といったものが、妙に権威主義的で窮屈で、堂々とモノが言いにくい、「ムラ」っぽさを形作っているように思えてならない。

「平和都市」は決して、水戸黄門の印籠ではないし、観光客を呼び込むためのキャッチフレーズでもない。動員学徒時代に被爆したある女性はわたしに言った。「黙ってじっと座っていても、平和は向こうからやってきてくれない。一生懸命たぐり寄せて、つかんで、力を尽くして、守らないと」。外に対して「平和」と言うからには、まずは自分たちのありようを問う姿勢が必要なのではないか、とわたしは思う。

【宮崎園子】
広島在住フリーランス記者。1977年、広島県生まれ。育ちは香港、米国、東京など。慶應義塾大学卒業後、金融機関勤務を経て2002年、朝日新聞社入社。神戸、大阪、広島で記者として勤務後、2021年7月に退社。小学生2人を育てながら、取材・執筆活動を続けている。『「個」のひろしま 被爆者 岡田恵美子の生涯』(西日本出版社)で、2022年第28回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。

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