吉原遊郭の名残である五十間道(衣紋坂) 写真/a_text/イメージマート

(鷹橋忍:ライター)

大河ドラマ『べらぼう』第8回「逆襲の『金々先生』」では、小芝風花が演じる五代目・瀬川と、市原隼人が演じる鳥山検校の出会いが描かれた。今回は、この二人を取り上げたい。

松葉屋の瀬川たち

鳥居清長筆《雛形若菜の初模様・松葉屋瀬川 さゝの 竹の》江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵 出典:ColBase

「松葉屋」という遊女屋は吉原に3軒あったが(綜芸書院『錦絵(14)』)、五代目(三代目、あるいは六代目とも)・瀬川がいたのは、江戸町1丁目の松葉屋だったとされる。

 向井信夫『江戸文藝叢話』所収「松葉屋瀬川の歴代」によれば、松葉屋の名跡である「瀬川」という妓名は、九代まで続いたという。

 九代の瀬川のうち、享保時代(1716~1736)の瀬川は、親の仇討ちをしたと伝わる(北村一夫『吉原ホログラフィー 江戸・男と女の風俗』)。

 三代目とされる瀬川は、踊りや歌、笛、鼓、三味線はもちろんのこと、漢詩の書道や易学にも優れていた。宝暦5年(1755)、御用達の町人・江市屋宗助に落籍されるが、これは名義で、実は大名だったと伝えられる(以上、北村長吉『吉原艶史』)。

 なお、宝暦中期より松葉屋の主人の名は「半左衛門」となり、以後、当主は代々、この名を襲名した(向井信夫『江戸文藝叢話』所収「松葉屋瀬川の歴代」)。

 四代目の瀬川は、宝暦8年(1758)の吉原細見では筆頭であったが、同年3月に行年19歳で自害したという。

 自害が影響したためか、瀬川の名はしばらくの間、途絶えたが、安永4年(1775)秋の蔦重作の吉原細見『籬(まがき)の花』に、五代目・瀬川が登場する。

 この五代目・瀬川は、鳥山検校に千四百両(およそ一億四千万円/千両とも)という空前絶後の大金(安藤優一郎監修『江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活』)で身請けされ、江戸中の話題をさらっている。