鳥山検校の蓄財は?
検校とは、盲人の職能団体「当道座(とうどうざ)」に制定された四官(検校、別当、勾当、座頭)の最高位である。
検校の官位を得るためには、千両もの大金が必要だったとされるが、検校になれば、紫衣が許され、相当額の配当金を受け取ることも、将軍に謁見することも時と場合によっては可能だったという(大隈三好箸 生瀬克己補訂『盲人の生活 生活史叢書34』)。
また、幕府は盲人の保護策として、金貸業を認めていた(八剣浩太郎『銭の歴史増補改訂版』)。
当道座中の者が貸し付けた金銭は、「座頭金」と通称され、生活に困窮する旗本や御家人、財政状況の厳しい大名などが借り手となった。
座頭金は「利息の月踊り」と称されるほど利息が高く、取立も言葉にできないほど厳しく、世間の悪評を買ったが、幕府は事実上、黙認していたという(以上、大隈三好箸 生瀬克己補訂『盲人の生活(生活史叢書34)』)。
こうして、高利貸しで巨万の富を得た上層の盲人たちは、吉原で湯水のごとく金を使った。金融を主業とした鳥山検校も、その一人であった。
鳥山検校の蓄財は一万五千両だったとされ(高柳金芳『江戸時代御家人の生活(生活史叢書12)』)、前述したように、安永4年(1775)、五代目・瀬川を身請けしている。