横綱・千代の富士の土俵入り=1985年(昭和60年初場所)(写真:共同通信社)
3月8日に大相撲春場所(大阪場所)が始まる。
春の訪れとともに響く触れ太鼓の音は、相撲ファンならずとも、新しい季節の幕開けを感じさせる。だが、華やぎの中心にある土俵は、残酷なまでに「今」が露呈する場でもある。若い力が台頭し、かつての王者は避けられない衰えと向き合う。
そのドラマがあるからこそ、大相撲は「人生の縮図」でもある。
今場所も、新たな星が土俵を沸かせるかもしれないが、その熱狂を前に、改めて振り返りたい「引き際」がある。昭和から平成へと時代が移り変わる激動の中、自らの手で幕を下ろした一人の横綱の話だ。
時代が終わった夜
1991年5月14日、夜の8時過ぎ。東京・墨田区亀沢の九重部屋に、約150人の報道陣がひしめいていた。
第58代横綱・千代の富士が九重親方とともに姿を現し、背筋を伸ばして正座する。親方が「体力、気力の限界だということで、本人が引退を申し出ました」と告げ、二人で深々と頭を下げた。
続いて千代の富士が口を開く。
「長い間、本当にお世話になりました。体力の限界……」ここまで言うと、両目からみるみる涙がこぼれた。白い手ぬぐいを目に当て、声が途切れる。絞り出すようにして、ようやく続けた。
「……気力もなくなり、引退することになりました」
千代の富士の引退会見。 千代の富士の右は九重親方(右)、左は後援者の鈴木宗男衆議院議員(写真:共同通信社)
小さな大横綱が、35歳で土俵を去る。その事実はスポーツニュースの枠を飛び越えて、一つの時代が終わったことを日本中に告げた。


