新一万円札の”顔”となった日本資本主義の父・渋沢栄一(写真:共同通信社)
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 晩年をいかに過ごすかで人の評価は一変する。「晩節を汚したくない」と自戒しておきながらも、いつのまにか「老害」と呼ばれている人も少なくない。長寿命化の現代においては引き際がますます難しくなっている。経営者や政治家などの偉人たちはどのようにして、何を考え、身を引いたのか。人生100年時代のヒントを探る。第一回は渋沢栄一を取り上げる。

生家は武家ではなく豪農

 渋沢栄一と聞けば、何を思い浮かべるだろうか。おそらく多くの人は「(7月3日から流通する)新しいお札の人」をイメージするはずだ。

 1万円札に渋沢、5000円札に津田梅子、1000円札は北里柴三郎。これまでの福沢諭吉、樋口一葉、野口英世の布陣と比べると地味な印象が否めない一方で、ただただ慣れていないだけの問題のような気もする。

 お札になると注目度が増すのは間違いない。日本史の教科書を開いたことのないヤンキーもギャルも反社も津田梅子を知るし、北里柴三郎の顔を認知するのだ。何をした人か知らなくても「お札の人」としてほぼ全国民に認知されるのだ。

 実際、樋口一葉の前の5000円札に描かれていた新渡戸稲造について「何をした人か知っている?」と町中で聞いたところ、多くの人は「前にお札に描かれていた人」と回答する可能性が高いはずだ。お札から消えたことで新渡戸稲造はもはや忘れ去られてしまったのではないかとすら心配になってくるが、余計なお世話か。

 渋沢も2019年に新札への起用が発表されるや、2021年の大河ドラマにも選ばれた。もう、忘れているかもしれないがドラマの渋沢役には稀代のイケメン俳優の吉沢亮が起用された。渋沢の肖像画を見る限り、引退した力士にしか見えないのだが、吉沢亮でよかったのだろうか。ドラマとはいえ「ちょっとビジュアル、インフレしすぎだろ」って天国から経済人らしい突っ込みをいれているに違いない。

 渋沢は「日本資本主義の父」ともいわれる。民間の経済活動が栄えることが日本の発展には不可欠だと考え、実践した。立志伝中の人であり、お札の肖像画にふさわしいのだが、生まれは意外にも豪農の長男だ。