世界の半導体市場はAIブームの追い風を受け、2023年の5300億ドルから2030年には1兆ドル規模へと成長が予想されている。そうした強気ムードに警鐘を鳴らすのが、日立製作所で一貫して半導体事業に携わり、日本の「ミスター半導体」と呼ばれる、元日立製作所 専務取締役の牧本次生氏だ。2024年9月に著書『日本半導体物語 パイオニアの証言』(筑摩書房)を出版した同氏に、日本企業が半導体業界を生き抜く上での心得、日立とモトローラとの「事業提携の舞台裏」について聞いた。(前編/全2回)
予期せぬシリコンサイクルを生む「二つの要因」
――著書『日本半導体物語 パイオニアの証言』では、牧本さんご自身の半導体キャリアで直面した1973年のオイルショック、1980年前半から始まった米中半導体摩擦での出来事について触れています。半導体業界の変化の激しさはどのような点から生じているのでしょうか。
牧本次生氏(以下敬称略) 半導体業界の変化の激しさを表した「シリコンサイクル」という言葉があります。シリコンサイクルは予期せぬときにいきなり訪れるもので、そこには二つの要因があります。1つは半導体業界以外の出来事である「外部要因」、もう1つは半導体業界固有の「内部要因」です。
最初のシリコンサイクルは1973年に訪れました。同年に起きた中東戦争がもたらしたオイルショックが引き金となり、1975年には半導体需要が大きく落ち込んだのです。これは外部要因だったといえるでしょう。
その後、1985年ごろには需給バランスの崩れに伴う半導体、特にメモリ需要の落ち込みが見られました。これは半導体業界固有の内部要因が引き金になっています。需要の変化は予想できないにもかかわらず、業界全体が強気になって大量生産した結果として需給バランスが崩れて、値崩れが起きたのです。
さらに1996年ごろには2つの要因が重なりました。同年、需給バランスが崩れて価格の暴落が始まり、翌年の1997年にはアジアの通貨危機が発生したことで、約3年に及ぶ半導体不況を招きました。その後も2001年のITバブル、2008年のリーマン・ショックなど、予期せぬ出来事が半導体業界に影響を与えています。
なぜ、このような事態で半導体業界が大きな打撃を受けるのかというと、半導体を作るためには多くの設備投資が必要だからです。高価な機械を使って生産するために多額の固定費がかかり、損益分岐点が高水準となるため、需要が落ち込んだ際には大きな赤字が生まれやすいのです。