出所:共同通信イメージズ出所:共同通信イメージズ

 1980年代後半、日本の半導体産業は世界シェアの50%を占め隆盛を極めたが、その後の半導体摩擦を経て凋落し、現在は海外企業に大きく後れを取っている。2024年9月に著書『日本半導体物語 パイオニアの証言』(筑摩書房)を出版した「ミスター半導体」こと元日立製作所 専務取締役の牧本次生氏は、その原因がファブレス企業の台頭にあると強調する。前編に続き、日本の半導体産業が衰退した原因と、これから向き合うべき真の課題について聞いた。(後編/全2回)

日立製SHマイコンのヒットを支えた「拡販作戦の中身」

――前編では、変化が激しい半導体業界の特性や、日立とモトローラの提携秘話について聞きました。著書『日本半導体物語 パイオニアの証言』では、H8マイコンやSHマイコンの拡販プロジェクトについて述べられています。日立製のマイコンが世界でシェアを広げることができた背景には、どのような要因があったのでしょうか。

牧本次生氏(以下敬称略) マイコンをはじめとする半導体市場は日本よりも海外の規模がはるかに大きいため、その販売戦略についても「とにかくグローバル市場を意識する」ということを念頭に置いた結果だと考えています。

 しかし、同じ半導体でもマイコンとDRAMでは売り方を変えなければなりません。DRAMの場合、スペックを記した資料が1枚あれば、多くの営業担当者がそれを理解して販売活動ができます。一方、マイコンは各社の思想が込められているので、営業担当にスペックを渡して販売を頼んでも、顧客への具体的な説明は困難です。

 そこで、日立では「MGO(マイコン・グランド・オペレーション)」という作戦を実施しました。MGOとは、マイコンを拡販するための生販一体プロジェクトの呼称です。従来の拡販活動では付けないような呼称にすることで、プロジェクトにかける決意を関係者に伝えることが目的でした。

 MGOには、現役の設計グループからエンジニアを選抜して、国内のみならず海外の販売部隊と客先に同行し、顧客に対して直接SHマイコンを説明してもらいました。こうした体制であれば、顧客からの質問にも即座に答えられますし、顧客からのフィードバックもすぐに得られます。大胆な作戦ではありましたが、結果としてマイコンの売り上げは国内のみならず海外でも大きく伸び、着実に成果を得ることができました。