毛沢東(写真:Universal Images Group/アフロ)
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 晩年をいかに過ごすかで人の評価は一変する。「晩節を汚したくない」と自戒しておきながらも、いつのまにか「老害」と呼ばれている人も少なくない。長寿命化の現代においては引き際がますます難しくなっている。経営者や政治家などの偉人たちはどのようにして、何を考え、身を引いたのか。人生100年時代のヒントを探る。第4回は中国の「建国の父」毛沢東を取り上げる。

文革時代、すでに身体はボロボロ

 毛沢東が「中国建国の父」とされていることに異論はないだろう。「資本家や地主を打倒して、平等を実現した」「質素倹約を徹底した偉人」といまだに個人崇拝の対象とされている。

 ただ、一方で、政治力には賛否が付きまとう。21世紀の今でも批判されるのが1958年に始まった農工業の増産運動「大躍進政策」だ。農業生産が激減、全国で大飢饉(ききん)が発生した。当時のナンバー2であった劉少奇はソ連大使に対して、大飢饉が終息する前に3000万人が餓死したと話しているが、この数字は少なく見積もった数で実際は4000万とも4500万ともいわれている。

 当然、党内の毛の権力基盤は弱まり、国家主席を継いだ劉少奇が権力を強めたが、毛沢東はそのまま消えなかった。きれいな引き際など全く頭になかったのだろう。影が薄くなった晩年に、個人崇拝の力を武器に起こした奇策があの「文化大革命」である。

 全国で文化財が破壊され、知識人も迫害された。劉や鄧小平など当時の権力の中枢が軒並み失脚した。死者数は1000万人ともいわれるが、詳細な実態は不明だ。