1972年2月、訪中したニクソン大統領を中国は大いに歓待した。アルコール度数の高いマオタイ酒がグラスいっぱいに注がれるのを見て驚きの表情を見せるニクソン(写真:Everett Collection/アフロ)

酒は「人間関係の潤滑油」と言われる。確かに会社の上司や部下、取引先などと酒を酌み交わし、本音をさらけ出すことで信頼関係を深め合えることもある。だが逆に、酒が入ったときの言動によって信頼関係をぶち壊してしまうこともあるのは読者諸兄もご存じの通り。同じことは政治や外交の世界でも起きている。上手に酒を使って仕事をした政治家もいれば、酒で取り返しのつかない失態を犯した者も……。そうした古今東西の政治家の酒にまつわるエピソードを集めた『政治家の酒癖』(栗下直也著、平凡社新書)が面白い。同書の中から選りすぐりのエピソードを紹介したい(JBpress編集部)。

(*)本稿は『政治家の酒癖―世界を動かしてきた酒飲みたち』(平凡社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

 1960年代は世界が大きく変わった時期だ。アメリカ国内をみても、ピューリタニズムのモラルがほとんどなくなり、麻薬が蔓延し、ポルノも解禁状態になる。対外的にはベトナム戦争が象徴的なように、アメリカの世界での地位が下がり出す。その1960年代の最後に大統領に就いたのがリチャード・ニクソンだ。

雑貨商の息子から大統領へ

 ニクソンはジョン・F・ケネディのライバルだった。年齢はニクソンが四つ上だが、いずれも1946年に下院に当選。上院の当選もニクソンが1950年、ケネディが1952年とほぼ時期が重なる。

 そして、2人とも大統領にまで登り詰めながらも、任期途中に大統領の職を離れざるを得なかった点も似ている。ケネディは暗殺され、ニクソンは「ウォーターゲート事件」で米大統領では初めて任期半ばで辞任に追い込まれた。

 ちなみに、金満一家のケネディと違い、ニクソンは南部の雑貨商の息子だ。議員に当選する前は弁護士で、日本の三井物産とも関係が深かった。

 ニクソンはウォーターゲート事件の印象が強く、ヒールとして描かれがちだが外交面の実績は大きい。泥沼化していたベトナム戦争からの撤退、冷戦下におけるソ連との緊張緩和(デタント)、中国への電撃訪問など歴史に残る決断を多く下した。

 ただ、一歩、踏み込んで歴史の裏側をのぞいてみると、この決断は関係者の多くの涙ぐましい努力によって導かれたことがわかる。