酒と核爆弾
彼はヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官を筆頭に、有能な側近に囲まれていた。キッシンジャー氏は、ニクソンを本人の前では持ち上げまくったが、「ものすごい変人、実に不愉快な男」と評し、「狂人」「飲んだくれの友人」とまでこき下ろしている。ニクソンもキッシンジャー氏を「サイコパス」と軽蔑したが、覇権国家を目指すという理念だけは共有していた。
ニクソンはシラフの時から「狂人」ぶりをいかんなく発揮していたが、酒が入ると手のつけようがなかった。泥酔し、無謀とも言える攻撃命令を出すことも少なくなかった。
例えば1969年4月、ニクソンは核の使用命令を出している。北朝鮮が米電子偵察機を撃墜し米兵31人が死亡したことを受け、軍制服組トップの統合参謀本部議長に北朝鮮への核爆弾投下を命じたとされている。
しかし、キッシンジャー氏が、大統領が酒に酔っていることを統合参謀本部議長に連絡し、「明日の朝まで待て」と作戦実施を覆すように要請して悲劇は回避された。
ニクソンは核をすぐに使いたがった。ベトナム戦争の旗色が悪くなった時期は、その姿勢が顕著になった。1972年に2期目の選挙を控えていたこともあり、大統領選の敗北を避けたいニクソンは核爆弾を使うことに躊躇いを見せなかった。「サイコパス」キッシンジャーですらニクソンの指示には困惑した。
「……発電所も港湾も攻撃しないと……そうだ、堤防も忘れてはいけない。みんな溺れるだろうか」とニクソンに訊ねられたキッシンジャーが「2万人くらいでしょうね」と答えると、「違うったら違う……核爆弾を使うんだよ」と説明された。「それはやりすぎじゃないでしょうか」とキッシンジャーがためらいがちに切り出すと、「核爆弾が心配なのか? ヘンリー、頼むからもっとデカく考えて欲しいな」と言い返されてしまった。(『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史2――ケネディと世界存亡の危機』)