核兵器を使うことがデカいことなのかはわからないが、この過激さがニクソン自身を追い詰めることになる。

 ウォーターゲート事件も、結局はニクソンが核兵器を切り札に北ベトナムを黙らせようとしたことがきっかけになった。その事実を裏付ける文書の公表を恐れ、犯罪行為に手を染めてしまったのだ。

酒と『パットン大戦車軍団』で高揚したまま決断したカンボジア侵攻

 実際に実行してしまった計画もある。1979年4月にアメリカ軍と南ベトナム軍がカンボジアへの侵攻を始めるが、ニクソンは酒をあおって大好きな映画『パットン大戦車軍団』を見て、気持ちを高揚させてゴーサインを出した。冗談のような話だが本当である。

 酒と映画で興奮おさまらないニクソンは翌朝、ペンタゴンにいくと、抗議運動をする学生たちを「キャンパスを吹き飛ばしてやれ」と罵り、その後の統合参謀本部の関係者との会議では、意味不明の言葉をまくし立て、最後は「みんなまとめて地獄行きだ」と締めくくった。内輪の会議とはいえ、キッシンジャー氏を始めとして、居合わせた人たちは啞然としたのはいうまでもない。

 カンボジア侵攻は国内でも反対の声が上がり、デモ隊と警察の衝突も起きる。国外からも違法性を問う声があがったが、ニクソンは「大統領が実行すれば何ら問題がない」と一蹴した。めちゃくちゃである。

 ウォーターゲート事件がすでに明るみに出ていた1973年10月11日の夜には英国のエドワード・ヒース首相がホワイトハウスに電話をかけてきた。数日前に勃発した第四次中東戦争について意見交換するためだ。