炎上するホテルニュージャパン。この火災で33名が亡くなった=1982年2月8日(写真:共同通信社)

(フォトグラファー:橋本 昇)

 貧乏人が成功する、平たく言えば「成り上がり」。人はとかく「成り上がり」に冷たい目を向ける。

 横井英樹氏。昭和・平成を駆け抜けた乗っ取り屋である。

機を見るに敏

 横井氏は1913年、愛知県に生まれた。父親は無職、酒飲み、DVの三拍子そろったダメ人間だったという。母親が手内職で家計をやり繰りしていたが、それを見て横井少年は小学校から働き始める。また、近所の人に畑を借りて野菜を作り僅かな生活資金を得たりもした。

 高等小学校を中途退学後の15歳の時、ボロ浴衣を着て上京、メリヤス問屋へ丁稚奉公に入った。奉公人としての詳細は知られてはいないが、先ずは造作なく務めたのであろう。

 1930年、17歳の時に独立し横井商店を設立した。そして、1942年太平洋戦争のどさくさでチャンスを得る。軍需工場に出入りをし、軍の管理会社として横井産業を設立するのだ。横井産業は兵隊の防暑服の製造でぼろ儲け。戦争成金というやつだ。

 戦争が終わり、横井氏は思った。「戦後は繊維よりも不動産だ」と。そして、焼け跡の時代に、鎌倉、熱海、軽井沢、箱根と土地を買い漁り、戦後の地価の高騰により財をなした。