昭和天皇崩御の直後、大日本愛国党総裁の赤尾敏(写真:橋本 昇)
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(フォトグラファー:橋本 昇)

 赤尾敏という人物がいた。大日本愛国党の総裁。そして強烈なアジテーター。

 彼は91歳の命を使い果たすまで、来る日も来る日も銀座数寄屋橋の角で日の丸を振り振り街宣車の上から叫び続けた。訴えるのは「反共・愛国」、まず直立不動で君が代を唄い、教育勅語を長々と流す。演説では徹底的に共産主義国を罵倒する。

西銀座の“名物”だった赤尾敏の街宣

「スターリンは何千万人もの人を殺した殺人鬼ですよ。満州にいた日本軍兵士たちも終戦と同時に極寒のシベリアへ連れて行かれ、何万という皇軍兵士たちが寒さと飢えで死んだ。今の“ソ連”を見なさい。食い物と言えば酢キャベツとニシンの酢漬、それに黒パンだけですよ。えー」

 と口から泡を飛ばす。

 日焼けした顔で大きなギョロ眼を剥き、髪を振り乱しながら野太い声を放つ赤尾の姿は昭和の西銀座の名物でもあった。

「今日もやってるな・・・」

 暑苦しい真夏の炎天下、銀座を歩く人たちの鼓膜を打ち叩く赤尾の声は、街路樹に張り付き鳴き暮らす蝉たちの合唱と妙に調和していた。赤尾の話に聞き入る聴衆は多くはないが、耳に入るその言葉には「確かにそれも一理あるな」と思わせるものが少なくなかった。