
(フォトグラファー:橋本 昇)
5月10日、無症候性心筋虚血の治療ため東大医学部付属病院に入院されていた上皇様が退院、仙洞御所に戻られた。6日から入院されていたが、その間、上皇后美智子さまは一日も欠かさず病院に通われ、毎日4~5時間、上皇様に付き添われていたという。お二人の仲睦まじさを改めて感じさせる出来事だった。
約15年前の話だが、私は国会での取材を終え、正門から出ると、左手からパトカーに先導された当時の天皇、皇后両陛下を乗せた御料車が通りかかった。
私は、お二人は気づかれないだろうと思ったが手を振ってみた。すると陛下は窓を開け、私に手を振り返された。驚き、そして嬉しく思ったが、同時に天皇皇后両陛下は皇居を一歩出ると、絶えず周囲に気配りをされる気の毒な存在なのだなとも感じた。

福岡県小倉に住む小学2年生の心までときめかせた「世紀のご成婚」
特に、皇族や華族ではない家から皇室に入られた上皇后美智子さまの気苦労は大変なものがあっただろう。
時は昭和33年1月。皇室会議は、皇太子・明仁さまと日清製粉社長・正田英三郎の長女・美智子さんの婚約を決定した。
お二人の出会いは軽井沢の万平ホテル裏のテニスコートだった。皇太子は美智子さんに一目惚れをし、電話でプロポーズ、3回目で承知されたらしい。
当時、福岡県小倉で暮らす小学校2年生だった私は、このときの美智子さまの記者会見のニュースを覚えている。いや、日本中がこのニュースに釘付けになった。クラスのお転婆が頭をヘアバンドで結び、机の間をしゃなりしゃなりと歩きながら「殿下はとてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げていかれるお方です」と婚約内定会見のときの美智子さんのモノマネをしてクラスメートを笑わせていた。