2009年夏の甲子園大会で、日本文理(新潟)vs中京大中京(愛知)の決勝戦は熱戦となった。日本文理は6点差をつけられて迎えた9回表に猛攻を見せ、1点差まで詰め寄るも、惜しくも準優勝に泣いた。これが新潟県勢では春夏通じて初めての決勝進出だった(写真:共同通信社)
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 日本で「野球どころ」と言えば、どの都道府県が思い浮かぶだろうか? PL学園や大阪桐蔭が活躍した大阪府? 甲子園のおひざ元の兵庫県? 巨人がある東京都? いやいや神奈川県もある。愛知県だって、などなど枚挙にいとまがないだろう。

「新潟県」という名前はなかなか出てきそうにない。しかし新潟県は、今、先進的な取り組みで日本野球界をリードしている。

「新潟の人は野球は弱いが大好き」

 そもそもの話、新潟県の野球は確かに弱かった。

 高校野球(旧中等学校時代から)でいえば、1926年に新潟商が夏の甲子園に出場してから、1958年の春、夏の甲子園に同じく新潟商が出場するまで32年間も出場していない。

 新潟県は夏の選手権大会では、富山県、石川県、福井県との「北陸大会」、山梨県、長野県との「甲信越大会」などを戦ったが、ほとんど勝ち進むことができなかった。

 1973年に1県1代表制となり、新潟県だけで代表校を出せるようになって、ようやく毎年、甲子園に出場する高校ができたが、春夏の甲子園の通算成績は、

春 3勝12敗
夏 29勝64敗

 決勝戦に進出したのは、2009年夏に日本文理高が進出したのみ。この時は中京大中京に9対10で惜敗している。

 新潟県出身のプロ野球選手も少ない。

 筆者は11年前にのちにプロレスラーとして一世を風靡するジャイアント馬場(馬場正平)の巨人時代を取材して本にした。馬場は新潟県三条市出身、三条実業高時代に投手として甲子園を目指すも果たせず、高校を中退して巨人に入団した。馬場自身は「新潟県初のプロ野球選手だ」と言っていたが、実際には、1948年に金星スターズに入団した一塁手の渡辺一衛が最初のようだ。馬場の後からは、阪急のエース今井雄太郎、オリックスのエース金子千尋などが出ているが、他県に比べるとその顔ぶれは見劣りする。

 新潟県が甲子園であまり活躍できず、プロ野球選手もあまり輩出していないのは、言うまでもなく新潟が日本有数の豪雪地帯で、野球ができる期間が、太平洋側の地域に比べて短いことが大きい。