だが、皇室に嫁がれた「皇太子妃美智子さま」には、相当な苦労があったようだ。世間にもさまざまなうわさ話が広まった。その一例として、皇太子の弟・常陸宮殿下と美智子さまが聖書について話をしたことに昭和天皇が激怒した、という話がまことしやかに世間に伝わった。

 ことの真偽は定かではないが、民間から皇室へ嫁いだことで、慣れぬ生活に相当なご心労があったことは間違いないだろう。

即位の礼の後、伊勢神宮を訪れた陛下(写真:橋本 昇)
同じく、伊勢神宮を訪れた皇后美智子さま(写真:橋本 昇)

両陛下を撮影できるポジションに

 昭和35年2月23日、浩宮さまの誕生。美智子さまは皇室の慣例だった乳母による子育てを選ばず、浩宮さまを手元で養育された。ご公務で海外にいかなければならないときなど幼い浩宮さまを伴うことができなかったので、美智子さまは浩宮さまの面倒を見るお世話係にご自身がしたためた育児メモを託していった。愛情深く接することなどが記されたこれらの内容は「ナルちゃん憲法」として世に知られるようになり、幼い子どもを持つ親たちに大きな影響を与えた。

 皇太子明仁さまと美智子さまは、浩宮さまに続いて、礼宮さま、長女の紀宮清子さまと、3人の子どもに恵まれた。

 さて、「世紀のご成婚」を小学生時代に目の当たりした私はといえば、長じて外国プレスのカメラマンになっていた。海外の王室や元首が訪日すると天皇陛下を表敬訪問するが、迎賓館で賓客を迎える昭和天皇の側には皇太子明仁さまや皇太子妃美智子さまが同席されることも多かった。そうした歓迎式典や宮中晩餐会のほかに、園遊会などの皇室関連の取材を任されることも多かった私は、美智子さまを近い距離で撮影する機会があった。これは実に不思議な心持ちだった。

スウェーデン国王カール16世を迎える天皇皇后両陛下(写真:橋本 昇)
ヒラリー・クリントン大統領夫人とカメラマンにポーズをとる美智子さま(写真:橋本 昇)
2007年11月、国賓として来日したベトナムのグエン・ミン・チエット国家主席のチャン・ティ・キム・チ夫人に手を伸ばして支える美智子さま(写真:橋本 昇)