デフリンピックの開催は日本で初めてだった
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大谷翔平ら日本選手が出場し、東京ドームで開かれたドジャース×カブスの開幕シリーズ、東京2025世界陸上など、2025年も話題となるスポーツイベントが日本で開かれた。その一つが「きこえない・きこえにくい人のための五輪」と言われ、日本初開催となった「東京2025デフリンピック」だ。世界各国から選手と役員など約6000人が参加。観客動員は目標だった10万人を大きく上回る28万人を記録したほか、交流拠点となったデフリンピックスクエアにも5万人以上が訪れるなど、大会は成功のうちに幕を閉じた。その舞台裏を、デフリンピック準備運営本部の責任者を務めたチーフ・オペレーティング・オフィサー(COO)の北島隆氏に聞いた。

(田中圭太郎:ジャーナリスト)

 東京でのデフリンピック開催が決まったのは2022年。そこからわずか3年で開催した大会は運営面に大きな特徴があった。ひとつは「地に足のついた大会運営」だったこと。大会運営の役割を担う東京都スポーツ文化事業団のデフリンピック準備運営本部の約200人と、3000人を超えるボランティアが中心となって大会を支えた。この体制により開催費用を当初計画していた130億円以内に抑え、160もの企業や団体がスポンサーとして協賛した。

 もうひとつの特徴は、今後のデフリンピックや、国内で国際スポーツ大会を開催する際の新たな基準となり得る運営手法を示したことだ。大会では都や区が所有する既存の施設を中心に使用し、東京2020オリンピック・パラリンピックの経験を生かした選手のサポートなどを行った。

競技会場とデフリンピックスクエアを合わせて33万人を動員

 11月15日から26日までの期間中、筆者も会場に足を運んだ。その一つが陸上、ハンドボール、バレーボールの会場となった駒沢オリンピック公園総合運動場。各競技会場には開場前から行列ができていた。特にバレーボールでは朝4時半から行列ができる日もあるなど、多くの観客が詰めかけていた。

陸上競技の会場にできた観客の列(11月24日午前9時頃)

 ただ、通常のスポーツ観戦で欠かせない拍手や声援、応援歌などは、「きこえない・きこえにくい選手」であるデフアスリートには届かない。