寝台特急「富士・はやぶさ」(写真:アフロ)

 私は子供の頃から鉄道好きで、いわゆる“鉄ちゃん”のはしりだった。60年代始めのことだ。

 その頃の国鉄の列車は色とりどりで、東京と九州を結ぶ路線では、特急寝台の「はやぶさ」、「あさかぜ」、寝台急行の「雲仙」など、多くの魅力的な列車が走っていた。機関車に牽引されてホームに滑り込んできたそれらのブルートレインに心を躍らせ、おもちゃのようなカメラを手に、夢中になって写真を撮る。当時の夢はブルートレインの機関士になることだった。そんな少年たちがホームで列車を待つ。その傍らを「え~弁当~、弁当~」と、駅弁売りが通り過ぎて行った。

鹿児島本線大牟田駅のホームに滑り込んだ寝台特急みずほ。C59型SLが牽引していた。1965年8月撮影(写真:橋本 昇)
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国鉄内部、労使の激突

 さて、こうして多くの子供たちの夢と憧れを乗せて走った国鉄の歴史の中で、大きな出来事といえば、1964年10月の東京・大阪間の新幹線開通と1987年4月1日の国鉄分割民営化だろう。

 国鉄が分割民営化されてちょうど36年。その経緯と主役とも言える二人の人物を振り返ってみたい。

 新幹線開通をはじめとして、戦後の経済成長に果たした日本国有鉄道の役割は計り知れない。だが、その華々しい業績の裏で国鉄内部には発足間もなくから労使間の壮絶な闘いがあった。そもそも戦後に国有鉄道を「日本国有鉄道」に衣替えしたこと自体、復員兵などを受け入れて膨らんだ人員の整理を目的としていたという。

 血なまぐさい事件も起こった。1949年に相次いで起こった下山事件(下山国鉄総裁の轢死)、松川事件、三鷹駅無人電車暴走事件が、国鉄の三大ミステリー事件と言われている。これらは一説では、アメリカ占領軍の諜報機関の謀略だとも言われているが、真相は謎として今も闇の中に沈殿している。