「右翼でも左翼でも言いたいことが言える世の中でなきゃ」

 その後も野村は「ヤルタ・ポツダム体制打倒」「日米安保条約破棄」を訴え、反権力の右翼として活動した。その批判の対象は政界、財界、そしてマスコミと手当たり次第だった。

 また数年後、野村を取材した。待ち合わせの皇居近くのホテルで、オレンジジュースを啜りながら彼は「なぜ右翼なのか?」というこちらの問いに明瞭に答えた。彼はホテルのロビーに飾られた花を指差した。

「ほら見ての通り、花には色んな色がある。赤、白、黄色、紫、中には言葉で表現できないほど鮮やかな色もある。

 思想とはそういうもんだよ。百の花が繚乱するように人間の考え方も十人十色だろ。共産主義は花の色をすべて一つの色にしてしまう。右翼でも左翼でも言いたいことが言える世の中でなきゃ。面従のロバにも言いたいことは山ほどあるんだぜ」

 彼は元来あるべき世の中の姿を吉田松陰の逸話に例え、憂国の弁をとうとうと話した。だが、話たくないこともあるらしい。昔の河野邸焼き討ち事件の真意を聞いてみたが、

「まー、過去の終わった出来事さ」

 とかれは一言呟いただけだった。