朝日新聞との刺し違えを選んだのか

 インタビューが終わり写真撮影になった。

「国会議事堂の前で寝転ぶのは?」

 と提案すると、彼はまるでいたずら小僧が悪さをしでかす時のように目をキラッとさせて顔をほころばせた。

「いいね!」

国会議事堂前でゴロリと寝転んでポーズを決める新右翼の大物・野村秋介(写真:橋本 昇)

 衝撃的なニュースが飛び込んできたのは1993年10月20日。

 野村が朝日新聞東京本社の役員室で拳銃自殺を遂げた。

 野村は前年の参議院選挙で「たたかう国民連合・風の会」という政治団体を立ち上げて立候補した。他に横山やすし、内田裕也等どれもくせ者が名を連ねていた。結果は惨敗。

 その時、週刊朝日の誌上でイラストレーターの山岸章二が「風の会」を「虱の会」と揶揄した事が野村の拳銃自殺の要因だった。

 野村はマスコミの選挙報道を公職選挙法違反として告訴したが認められず、この日、経営陣からの謝罪を求めて朝日新聞東京本社を訪れたのだ。話し合いの後、彼は両手に拳銃を握り、“皇尊弥栄”と皇居に向かって三唱し、自らの胸に向けて引き金を引いたという。あえて朝日新聞の役員の前で死を選んだのは、行動右翼としての自身に行き詰まって、“朝日新聞”との刺し違いを選んだのだろうか、自己顕示欲からの行動と捉えた人もいる。だがその心中は誰にもわからない。享年58という、早い死ではあった。