「天才占い師」と称された藤田小女姫(こととめ)さんのことを読者諸氏は覚えているだろうか。
昭和30年代から40年代にかけて、60年のアメリカとの安保条約を締結した岸信介や松下電器(パナソニックHDの前身)の創業者である「経営の神様」松下幸之助など政財界の重鎮らの大きな決断の裏には小女姫さんの占いがあったという伝説は、彼女が若い頃から世の中に知れ渡っていた。
後には宜保愛子や細木数子など霊能力者や占い師が世間の人気を集めたが、政財界のトップに影響を与えたレベルで言えば、小女姫さんは彼女らを遥かに凌駕していたのである。
幼いころからマスコミの寵児に
ただ小女姫さんの半生は謎に包まれていた。今から20年前に、小女姫さんの実弟という人物が手記を出版しているが、それによると小女姫さんとこの弟の戸籍上の父親は、実の親ではないという。本当の親は右翼の大物と花柳界の女性であり、そこから戸籍上の父親が誘拐同然のようにさらってきて、それぞれ別の女性を戸籍上の母親として育てられたというのである。
どれくらい真実なのかは検証が難しいが、小女姫さんはその「戸籍上の」とされる母親に“プロデュース”される形で、幼い時から天才占い師としてマスコミの寵児となった。
そんな小女姫さんは今から30年前の1994年2月23日、暮らしていたハワイ・ホノルルの高層マンションのクローゼットから射殺体となって発見された。享年56であった。さらに同日、彼女の一人息子の吾郎さんもホテルの駐車場で炎上していた車の中から焼死体となって発見された。遺体はテープで縛られ、胸を銃で撃ち抜かれていた。なんとも凄惨で怪奇的な事件だった。