犯行を疑われたのは2人と交友関係があった福迫雷太(ふくさく・らいた。当時28)だった。福迫は事件の2日後に日本に帰国していたが、その直前に小女姫さんの貴金属をハワイの質屋に持ち込み2000ドルを借りていたことが判明。

 さらにその後の捜査でもいくつかの状況証拠が浮上。これにより福迫はアメリカで起訴され、日米犯罪人引き渡し条約に基づき、初めて日本人の身柄が米国に引き渡された事例となった。

19948月16日、藤田小女姫さん母子殺害事件の福迫雷太容疑者を乗せて、東京拘置所から成田空港へ向かう米大使館のワゴン車(写真:共同通信社)
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 福迫は犯行を否定し続けたが、アメリカの裁判で終身禁固刑の判決が下り、ハワイの刑務所で服役していた。だが今年10月14日、刑務所内で同じ雑居房の男性受刑者によって刺殺されたことが判明した。享年59である。

旧知の人物が小女姫さんの「元秘書」

 このニュースに接し、筆者は小女姫さん・吾郎さん殺害事件の直後に取材していたある一件を思い出した。

 事件直後に日本に帰国していた福迫は、報道で自分が犯人視されていることを知り、マスコミを通じて「自分は無実である」と訴えていた。またハワイに移送された後も、彼の関係者たちは、「是非とも真実を明らかにして欲しい」と訴えていた。一部では、福迫は殺害事件に何らかの関与はしているものの、真犯人に親しい人物を人質にとられ、罪を着せられているとも言われている。

 取材者として強い関心を抱いたが、当時、筆者にはハワイまで飛んでいって取材をする余裕がなかった。真実を追求するにも伝手すらなく、この事件の取材をなかば諦めていた。