和歌山県田辺市で2018年に死亡した資産家で、「紀州のドン・ファン」と呼ばれた会社経営者・野崎幸助氏(享年77)の「遺言書」の有効性が争われた民事訴訟の二審判決が9月19日に大阪高裁で言い渡された。
昨年6月の一審判決では、「遺言は有効」とされていたが、親族らは「遺言は無効」として控訴していた裁判だ。だがこの日の判決は、一審の和歌山地裁判決を支持し、遺言書は「有効」とするものだった。このままなら田辺市と、遺留分侵害請求権が認められる元妻の女性に遺産相続の権利が生じることになる。
ただ、今回の裁判で有効性が争われた「遺言書」の存在が浮上する過程についても取材してきた筆者にしてみれば、判決内容はストンと腹に落ちるようなものではなかった。
赤いサインペンで書かれた遺言書
野崎氏は、18年5月24日に田辺市内の自宅で亡くなっているのが見つかった。それからおよそ3年後の21年4月、和歌山県警は、野崎氏に致死量を超える覚醒剤を飲ませて殺害したとして元妻の須藤早貴被告(29)を逮捕し、早貴被告は殺人罪などで起訴された。こちらの方の初公判は昨年9月から和歌山地裁において裁判員裁判で行われ、12月に無罪の判決が下っている。
現在は検察側が控訴している状態であるが、控訴審の日程は決まっていない。また早貴被告は別件の詐欺容疑で3年6カ月の実刑判決を昨年9月に受けている。
今回の大阪高裁で有効性が争われていた「遺言書」とは、〈いごん 個人の全財産を田辺市にキフする〉などと赤色のサインペンで書かれていたものだ。
野崎氏が生前、M氏に送ったとされる遺言書。黒く塗りつぶしたところにはM氏の名が記してある
法律の専門家である公証人が作成・保管する公正証書遺言ではなく、野崎氏が経営していた金融会社の元幹部M氏が保管していた。書面には野崎氏のものとされる署名や押印のほか、亡くなる5年前の平成25年(2013年)2月8日の日付も書き込まれていた。

