天神山城 撮影/西股 総生(以下同)
(歴史ライター:西股 総生)
はじめて城に興味を持った人のために城の面白さや、城歩きの楽しさがわかる書籍『1からわかる日本の城』の著者である西股総生さん。JBpressでは名城の歩き方や知られざる城の魅力はもちろん、城の撮影方法や、江戸城を中心とした幕藩体制の基本原理など、歴史にまつわる興味深い話を公開しています。今回は東京都三鷹市の天神山城をご紹介します。
小城砦を構えるにはうってつけの地形
京王線の仙川駅を降りたら、甲州街道を渡ったところにある折返し場から吉祥寺方面行のバスに乗りコミュニティセンター入口で降りる。天神山通りを北に歩くと、仙川を渡って中央高速の高架をくぐったところに、青少年広場という小さな公園がある。
宅地化が進む東京近郊に残されたささやかな緑地、といった趣の公園だが、実はここが城跡である。といっても、パッと見にはあまり城跡らしくない。城好きの人たちの間でも決して有名ではないので、城として訪れる人はあまりない。
新川の天神山城は三鷹市の青少年広場という公園になっている
でも、土の城を多少なりとも歩き慣れた人なら現地に立った瞬間、はたと膝を打つに違いない。武蔵野台地の縁が、仙川に向かって小さな岬のように突き出した地形を見てとれるからだ。小城砦を構えるには、うってつけの地形ではないか。
この城は、天神山城と呼ばれているが、筆者は地名を冠して「新川天神山城」と呼ぶことにしている。「天神山城」という名は各地にあってまぎらわしいからで、「松山城」だけではどこの松山城かまぎらわしいので、「備中松山城」と呼ぶようなものだ。
南西側から見た新川天神山城。岬のように突き出した台地の西側から南側にかけて、仙川が裾を洗うように流れている
公園の中を歩いてみよう。何だかだらだらした地形で、あまり城っぽくない。城の曲輪って普通、もっと平らに整地してありますよね。ただ、よく見ると北側に高まりが連なっていて、その外側が凹んでいる。台地続きを遮断する土塁と空堀である。
さらに注意深く観察してみると、土塁と空堀は途中でクランクしていることがわかる。これは、側面から回り込んで空堀の中を歩いてみるとよくわかるが、要するに横矢掛りだ。明らかに防禦を意図した人工構築物で、なるほど、城である。
公園の北側には土塁が残っている。もっさりした土塁なので、あまり見映えはしない
では、この城は何なのかというと、はっきりいって来歴は不明。江戸時代の編まれた『新編武蔵風土記稿』には記載がなく、『武蔵名勝図絵』には「天神山」の名と、堀跡が残ることは書いてあるものの、来歴については何も伝えていない。どうやら、江戸時代の後半には、もう何だかわからなくなっていたらしい。
以前に三鷹市が実施したトレンチ調査でも、建物の跡も見つからなかったし、たいした遺物も出土しなかった。ただ、1点だけ15世紀後半と目されるスリ鉢の破片が見つかっているから、戦国時代の城跡なのは間違いなさそうだ。
土塁の外側は空堀となっていて、台地続きを遮断している
また調査によれば、土塁は積み方がきわめて粗雑、空堀も薬研堀ではなく底の平らな箱堀で、曲輪の内部も平らに均した形跡がない。急ごしらえの城なのである。川に面した台地の突端で、小城砦としての地形的ポテンシャルは備わっているから、台地続きを堀で切って、掘った土を内側に盛って土塁にすれば、とりあえずは敵を防げる。
土塁と空堀は途中でクランクして横矢掛りとなっている。写真ではわかりにくいが、堀の中を歩いてみるとわかる
大工さんを呼んできて建物を建てているヒマなんかないから、城内も整地せずに、有り合わせでテントみたいなものでも拵えて雨露をしのいだか。こういうのを「掻きあげの城」と呼ぶのだろう。城として使われた期間も短いだろうし、守備していたのも名も無い武士と足軽・雑兵あわせて数十人くらいか。地元に伝承が残らないのも当然だろう。
曲輪の中は整形されておらず自然地形のままだ。これではごく簡易な掘っ立て小屋くらいしか建たない
でも、これって、考えてみたらリアルな話ではないか。戦国時代なら、どこででも起こりえたたぐいの「築城のリアル」なのだろうが、痕跡としてちゃんと残っている城は多くはない。こんなチンケな城砦、畠の一つも耕せばすぐに無くなっちゃうからだ。それが残っているなんて、ある意味、奇跡ではなかろうか。
補足しておくと、天神山城と仙川を隔てた西にある新川団地には島屋敷遺跡という中世の集落遺跡があって、江戸時代の初期には柴田勝重が居住した場所だ。柴田勝家の孫である勝重は豊臣時代には身を潜めていたが、大坂の陣で豊臣家が滅んだのち徳川家康に名乗り出て3500石を給され、旗本となって当地に陣屋を置いたものである。
仙川の対岸にある新川団地は島屋敷・柴田陣屋遺跡があったところ。団地中央の集会所のところに発掘調査成果の概略が表示してある
[参考文献]『東京都の中世城館』(東京都教育委員会 2006)








