そのため、継続的に関与した一部の会社を除いて、ほとんどの場合持ち株を数%に抑えて「渋沢色」を薄めた。自分が立ち上げた会社でも、上位株主に名前がない会社も多かった。会長または取締役として在籍している会社であっても、その会社を支配しようとはしなかった。経営に対する発言権を確保するのに不自由しない程度の株式を所有するにとどめていた。

 自らつくった会社にこだわらずに、必要ならば株を売って他の会社を立ち上げることも繰り返した。いかに会社の所有に執着がなく、事業を円滑に引き継げる体制を敷いていたかがわかる。

76歳にて「後顧の憂いなく実業界を隠退」

 69歳の時に第一銀行以外の約60の会社役員の職を辞し、76歳の時には第一銀行の頭取も退き実業界から完全引退した。当時としては高齢まで会社の要職にあったとの見方もあるだろうが、渋沢にしてみれば私利私欲ではなく道筋をつけるまで留まっていただけだった。

 引退について渋沢は「ことごとくとは言わぬが、大体において道理正しい進歩を遂げたので、私はこの時機において後顧の憂いなく実業界を隠退するに至ったのである」と振り返っている。

羽織袴で腰に大小2本の刀を差した渋沢栄一(写真:Hulton Archive/ゲッティ/共同通信イメージズ)
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