念のため、はっきりさせておくが、板井の発言はあくまで一個人の証言であり、千代の富士の八百長関与を示す確たる証拠は存在しない。当時の横綱・貴乃花も「現役力士は土俵でいいところを見せるしかない」と冷静にコメントしている。
ただ、千代の富士が頂点に君臨した時代に疑惑の空気が漂っていたのは事実だ。その中で「体力の限界」と言い切って自ら去った選択を、どう読むか。
角界の慣行に一切関わっていなかったなら、文字通りの「潔白」だし、完全に無縁ではなかったとしても、自分で幕を引いた事実には別種の凄みがある。
美しく去ることは、最強の「攻め」だ
千代の富士が引退する20年前の1971年5月。「不世出の大横綱」大鵬は、新鋭の貴ノ花――千代の富士に禁煙を勧めた――に尻餅をつくような負け方をした。その夜、大鵬は引退を決意したといわれている。千代の富士の引退には、この大鵬の美学が受け継がれている。
一方、2019年に引退した稀勢の里は怪我に見舞われながらも土俵に立ち続けた。その姿は、多くのファンの涙を誘ったが、「もっとじっくり体を整え直していれば」と惜しむ声もあった。責任感と執着の間には、常に紙一重の境界線がある。
横綱には成績不良での自動降格がない。「いつ去るか」は完全に自分で決めるしかない。考えてみれば、これはとても残酷だ。
会見の最後、千代の富士は全国のファンにこう語りかけた。
「長いこと応援していただいて、ありがとうございました。その一言に尽きます」
もう一度、深々と頭を下げた。土俵では決して見せたことのない、穏やかな表情だった。「肩の荷がおりた」「悔いはありません」「我ながら頑張った」。自分の物語を自分で閉じた人だけが持てる、静かな充足感がそこにあった。
引退会見する千代の富士(写真:共同通信社)
2016年7月31日、千代の富士こと九重親方は膵臓がんで亡くなった。61歳だった。あまりにも早い死だった。
千代の富士の引き際の美学は、四半世紀を経ても色あせていない。私たちビジネスパーソンのキャリアにも「体力の限界」は必ず訪れる。そのとき、周囲に指摘されるまで気づかないふりをするのか、自分で認めて次の一手を打つのか。
去り際を決める権利だけは、他人に渡してはいけない。
【参考文献】
「千代の富士、引退に悔いなし 目頭押さえ『肩の荷おりた』『万全な体、戻らない』」『毎日新聞』1991年5月15日朝刊
「千代の富士引退 貴花田戦で『潮どき』感じる」『毎日新聞』1991年5月15日朝刊
「横綱千代の富士引退 涙のウルフ燃えつきて 『我ながら頑張った』」『東京読売新聞』1991年5月15日朝刊
武藤久「[記者の目]妥協ない横綱だった大乃国 ひとり孤高を保ち勝負に予断与えず」『毎日新聞』1991年7月17日朝刊
「大相撲八百長疑惑 板井さんの講演内容要旨 現役力士を名指し批判」『スポーツ報知』2000年1月22日
「貴ノ花親子とドラマ 10年越し 世代交代――元千代の富士死去」『静岡新聞』2016年8月1日朝刊(共同通信配信)
「衰え、負傷、不祥事…引き際さまざま」『産経新聞』2019年1月17日朝刊
玉木研二「火論:横綱の引き際」『毎日新聞』2019年1月22日朝刊








