豊臣秀吉・秀長兄弟ゆかりの墨俣一夜城(写真:Kouji_film/イメージマート)
2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第7話「決死の築城作戦」では、美濃攻めに乗り出した信長に対し、秀吉は墨俣(すのまた)城の攻略を買って出るが……。今回放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
柴田勝家も挫折した墨俣築城、「低湿地×敵襲」の二重苦
織田信長の期待に応え続けて出世した男、豊臣秀吉。その成り上がりストーリーの序盤で出てくるのが「墨俣城伝説」である。
どういう話かというと、永禄9(1566)年、信長は美濃攻略を念頭に置いて、敵地の墨俣に砦を築くようにと家臣たちに命じた。
だが、墨俣の地は、木曽川・長良川・揖斐川という3本の川が流れる低湿地帯で、水が溜まりやすい。今回の『豊臣兄弟!』でも、高橋努が演じる蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)、通称・小六(ころく)が次のように説明している(蜂須賀小六については後に説明する)。
「墨俣の一帯は湿地が多く、普請が難しい。場所を見極めねば取り返しがつかぬことになる」
ただでさえ築城が困難なうえに、もう一つ問題があった。敵地にあるため、砦を築こうとすると、美濃を支配する斎藤方の武士に妨害されてしまうのだ。
まずは佐久間信盛が築城を引き受けるが、ある程度まで完成したところで、斎藤方の武士たちによって、砦が破壊されてしまう。次に柴田勝家が築城にトライするが、結果は同じ。木材まで奪われてしまった。
信長が「墨俣に砦を完成させた者に、その砦を任せよう」と呼びかけるも、ことごとく失敗に終わっている難事業だけに、家臣たちの誰もが及び腰となった。
そんな中、「おそれながら」と名乗り出て、墨俣城の築城を引き受けたのが、秀吉である。斬新な方法を用いて、たった一夜で墨俣に城を築き上げてしまう。これが「墨俣城伝説」として伝わる逸話である。一体、どこから生まれたのか。
江戸時代初期に儒医の小瀬甫庵(おぜ ほあん)が書いた『甫庵太閤記』では、「秀吉軽一命於敵国成要害之主事」(信長の命で秀吉が築城した)ことが分かる。ただし、ここには「墨俣」という地名は出てきていない。
この城(砦)を「黒俣城」として初めて紹介したのは、江戸後期に出版された読本(よみほん)の『絵本太閤記』(文・武内確斎、挿絵・岡田玉山)だとされている。以降、脚色が加えられて、上記のような伝説が生まれたようだ。
もっとも実際に一夜で城が築けるはずがないから、たったの数日で砦を築くという、迅速な秀吉の築城を称えて「墨俣一夜城」と表現されるようになったらしい。
今回の放送では、家臣の柴田勝家が墨俣城の築城を引き受けるが、ミッション達成ならず。小栗旬演じる織田信長から「負け犬は目障りじゃ。許しがあるまで蟄居(ちっきょ)しておれ」と非情な通告を受けている。
そこで当初から手を挙げていた秀吉に、難題が託されることになった。