日本書紀が仕掛けたミステリーとは(写真:Urabe Kanekata, Public domain, via Wikimedia Commons)
中国史書『宋書』に登場する「倭の五王」は、日本古代史最大級の謎の一つとされてきた。彼らはいったい誰だったのか。伊藤雅文氏(歴史研究家)は、日本書紀に施された年代操作と消された大王たちの存在に注目し、その正体解明に挑んできた。『倭の五王たちの真実 『日本書紀』が仕掛けた壮大なミステリー』を上梓した伊藤氏に、通説を覆す復元史観から得られる倭の五王の正体について、話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
──今回の書籍のテーマである「倭の五王」とは、どのような人物たちなのですか。
伊藤雅文氏(以下、伊藤):倭の五王は、「讃(さん)」「珍(ちん)」「済(せい)」「興(こう)」「武(ぶ)」という一文字名の、中国の史書『宋書』に登場する人物たちです。5世紀に日本のヤマト王権の大王(天皇)であったと考えられます。
──今回の書籍は、倭の五王の正体に迫るというものでしたが、なぜ、彼らの正体が明らかになっていないのでしょうか。
伊藤:まず、倭の五王は宋書の中に、漢字の一文字名で記録されています。日本の天皇の名前は、応神天皇であれば誉田別(ほむたわけ)、仁徳天皇であれば大鷦鷯(おおささぎ)というように、生前の名前とも考えられる和風諡号(しごう)があります。
ところが、宋書には和風諡号の記載は一切ありません。これが、倭の五王の正体特定を困難にしている要因の一つです。
もう一つの重大な要因として、天武天皇が倭の五王の正体や存在を隠蔽した可能性が考えられます。
──なぜ天武天皇は歴史を隠蔽しようとしたのでしょうか。
伊藤:倭の五王が行ったことは、宋王朝への朝貢です。これは倭国が宋の冊封国、すなわち属国のようなものであったことを意味します。天武天皇は、絶対にそれを認めることができない立場にあったと思われます。
天武天皇は681年に国史編纂の詔を発しますが、この時期は663年の白村江の戦いで日本が唐と新羅の連合軍に歴史的な大敗を喫してから約20年が経過していました。唐との対等な関係を改めて模索し始めた時期だったと考えられます。
たとえ200年前の話であっても、日本が宋王朝の属国になっていた事実を書き記すことは決してできない。そこで天武天皇は、真っ先に倭の五王の隠蔽を命じたと私は考えています。
さらに「紀年延長」の問題があります。日本書紀は720年に完成しますが、私は天武天皇朝で「原日本紀(げんにほんぎ)」という史書が編纂されていたと考えています。現存しませんが、その原日本紀に対して紀年延長操作が加えられて、日本書紀が完成したと推測しています。
そのため、実際の在位期間と日本書紀の紀年にずれが生じていると考えられるのです。この「ずれ」もまた、倭の五王の正体を謎のベールに包む一つの要因です。
──「紀年延長」とは?
