日本書紀から消された2人の天皇
──珍についても教えてください。
伊藤:隼別皇子は、応神天皇の皇子で菟道稚郎子皇子の弟です。宋書にも「珍は讃の弟」という記述があります。
日本書紀の中から、該当する人物を探すと隼別皇子が浮かび上がります。日本書紀では、隼別皇子に対して天皇に使われるのと同様の言葉が使われています。つまり、菟道稚郎子皇子の崩御後、弟の珍が継いだのであれば、隼別皇子だったと考えるのが妥当だということです。
──倭の五王の中でも、菟道稚郎子皇子と隼別皇子は日本書紀で天皇に即位したことすら隠蔽されています。
伊藤:天武天皇は、壬申の乱で甥に当たる弘文天皇を死に追いやって天皇位に就いた人物です。
日本書紀では父子とされていますが、私は応神天皇が兄で仁徳天皇が弟という兄弟関係にあると考えています。だとすると、いったん甥の世代に渡った天皇位を一世代戻すという「遡り」が発生します。これは、天武天皇が弘文天皇を殺して天皇位を奪ったのと同じ構図です。

私は、天武天皇が仁徳天皇に共感して聖帝に作り上げたと考えていますが、このような天皇系譜の「遡り」を解消するためにも、讃こと菟道稚郎子皇子、珍こと隼別皇子の治世を日本書紀から「消して」しまった可能性が高いと考えています。
──倭の五王の正体を特定する意義は、どのようなところにあるのでしょうか。
伊藤:倭の五王の年代が確定されれば、日本の歴史を古くまで遡ることができます。倭の五王より前の時代は「空白の4世紀」「謎の4世紀」などと言われている時代です。
日本書紀にその時代の記述があるのは確かなのですが、残念ながらその信憑性には疑問符が付けられています。その一番の理由は、年代観が曖昧であるためです。
今回の研究で、私は応神天皇の即位年を396年と推定しました。もしこれが古代史研究の世界で認められれば、5世紀の歴史は確定され、396年以前の年表づくりに進むことができます。そうなれば、「空白の4世紀」もきっと空白ではなくなってくるでしょう。
古代史研究を一歩前に進めるためにも、倭の五王の正体の特定と紀年復元の取り組みは極めて重要であると考えています。
伊藤 雅文(いとう・まさふみ)
歴史研究家
昭和34(1959)年、兵庫県揖保郡(現たつの市)生まれ。
広島大学文学部史学科西洋史学専攻卒業。大阪よみうり文化センター講師を歴任。全国邪馬台国連絡協議会会員、邪馬台国の会会員。著書に『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社)、『古代天皇たちの真実』(ワニブックス)などがある。YouTube「古代史新説チャンネル」(日本書紀の界隈/邪馬台国の界隈/古墳の界隈)を好評配信中。
関 瑶子(せき・ようこ)
早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。素材メーカーの研究開発部門・営業企画部門、市場調査会社、外資系コンサルティング会社を経て独立。YouTubeチャンネル「著者が語る」の運営に参画中。




