寛永版本「古事記」の初版(しんぎんぐきゃっと, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons)
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 奈良時代初頭、わずか8年違いで編まれた「古事記」と「日本書紀」。「古事記」は神話と伝承に彩られた牧歌的な書物、「日本書紀」は日本古代の正史と見なされている。しかし、ともに天武天皇の命で編纂されたと伝わるこの2冊は、まるで正反対の立場をとる。

「古事記は敗者が書いた『反日本書紀』だ」と語るのは、関裕二氏(歴史作家)である。天皇家、蘇我氏、藤原氏という古代日本の支配構造に潜む「もう一つの真実」について、『古事記の正体』(新潮社)を上梓した関氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

──奈良時代初頭の712年に古事記が、720年には日本書紀が成立しました。この2冊の書物には、どのような違いがあるのでしょうか。

関裕二氏(以下、関):古事記は、日本最古の歴史書と言われております。日本書紀も含め、この2冊は古代日本を知る上では非常に重要かつ有名な書物です。

 不思議なことに、いずれの歴史書も編纂のきっかけは第40代天武天皇(大海人皇子)の命令だったと言われています。同じ時代に2冊も歴史書が存在していることは、非常に不可解です。

 しかも、古事記は朝鮮半島に存在した新羅に好意的な立場を示しているのに対し、日本書紀は新羅と対立関係にあった百済を肯定しています。同じ状況下で、これほど政治的立場の異なる歴史書を作る必要はありませんし、作れるはずもありません。

──なぜそのような歴史書が2冊、ほぼ同時期に編纂されたのでしょうか。

関:日本書紀は、朝廷の正しい歴史を後世に残すための「正史」という位置づけがなされています。

 一方で、古事記は正史に書かれている歴史的記述の正当性を問うために編纂されたものだと私は考えています。一般的に、正史となる歴史書は勝者による嘘で塗り固められています。勝者が権力を得るまでの間に行った不正や犯罪的行為を全て正当化するためです。

 敗者にとって重要なのは、勝者の嘘をいかにして後世に伝えていくかという点です。古事記は、その役割を担っていたのではないかと思われます。