人智を超えた大いなる存在を、人は神と呼ぶ。おそらく太古以前に、すでに、この世に姿を現したのだろう。そして、その存在は、いま現在も案外、身近なところに潜んでいる。
それは時に、飲んだくれの父親をよそにバスの切符売りをしている中南米の少年や、東南アジアの場末の飲屋街を根城にした夜の女のように、普段は人間の姿をしていることもある。だが、時にそれは神々しい正体を現す。
「私、日本人なんです」とそのホステスは言った
以前、私が東南アジアで電話接続会社、結婚相談所、骨董商を営んでいた時のことである。
熱帯モンスーンの東南アジアでは水は豊富にあるが、安全な水を手に入れることは容易ではない。もちろん水道水をそのままでは飲むことはできない。
ある時、日本の東北地方にあるA社が、カンボジアの東北地方のメコン河の水を浄化して飲料水に変えるというプロジェクトを計画していた。私が当時、東南アジアで営んでいた会社に、ある会社を通じて、現地の調査と関係各所との折衝という仕事が舞い込んだ。
調査が終了すると、A社の会長、専務、部長の3人が日本から現地に訪れてきた。
私は、毎日、現地の施設建設候補地の視察や、協力企業候補との引き合わせなどに同行した。当時は酷暑の季節だったので、A社幹部たちは夜になると夜総会(ナイトクラブ)でビール片手に暑気払いをしながら羽を休めた。
カンボジアのナイトクラブのカラオケは充実しており、日本の曲も選曲できる。また、クラブの女性を指名して相席で歌を楽しむこともできた。
短い日程を終えA社の幹部一行が帰国する前日、「今日は最後だから、存分に東南アジアの夜を楽しもう」と会長のかけ声でナイトクラブに繰り出した。門をくぐると、いつものように女性らが指名をもらおうと押しかけてくる。
突如、その時、「お願いですから、私を指名してください」と日本語が耳に飛び込んできた。カネ払いの良い日本人の指名を取るために片言の日本語を話すホステスはいるが、その発音がまったく日本人らしかったので、私は驚いて女を見た。
その声の主は燐光を発する眼で、すがるようにじっと会長を見据えている。会長は催眠術にでもかかったかのようにその女を指名していた。
席に座ると女は「私、日本人なんです」と、やや悲痛味を帯びた声で言った。こんなところに日本人女性がいるわけがないと思っていた私たちは、顔を見合わせて再び驚いた。